連載「変わりゆく高等教育」第3回
悪魔か救世主か?
その2:英語支配の終わりの始まり
a.k.a.ミンミン
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はじめに:英語とは何なのか?
『市民研通信』第52号「悪魔か救世主か?その1:MOOC(ムーク)の出現」でお誘いしたが、MOOCのコースは試していただけたであろうか? 未だの方はせっかくの機会なので、これを読み進める前にぜひ自分で興味の持てるコースを見つけていただき、どんなコースでもいいので試していただきたい。そうすることで、これからの日本の高等教育が直面する危機への洞察が別次元のものとなること必然である。しつこいが、知識はもはやコモディティであり、それ自体に何の価値もない。必要なのは自分で経験し、感じることである。
MOOCが与える日本の大学へのインパクトを考える前に、今回は多少回り道をしなければならない。それは学びの媒介として重要な「英語」とは何なのかを、あらためて考えることである。英語という言語がどのような状況にあるのか、をよりよく理解することによって、日本の高等教育業界、また英語教育全般の今後が、全く違って見えてくることだろう。
ご承知の通り、第二次世界大戦はドイツ、イタリア、日本をはじめとする枢軸国の勝利に終わり、アメリカ合衆国は、東海岸はドイツによる統治、西海岸は日本の統治、ロッキー山脈地帯が緩衝地帯となっている。当然、東海岸ではドイツ語が支配者階層の言語であり、西海岸では日本語が支配者階層の言語となっていて、エリートになりたいアメリカ人の若者は、これらの言語を多くの金と時間をかけて習得しなければならない。
ご承知の通り、第二次世界大戦はドイツ、イタリア、日本をはじめとする枢軸国の勝利に終わり、アメリカ合衆国は、東海岸はドイツによる統治、西海岸は日本の統治、ロッキー山脈地帯が緩衝地帯となっている。当然、東海岸ではドイツ語が支配者階層の言語であり、西海岸では日本語が支配者階層の言語となっていて、エリートになりたいアメリカ人の若者は、これらの言語を多くの金と時間をかけて習得しなければならない。
と書くと、きっと何かの間違いだろう、と読者はすぐに気がつくであろう。それとも筆者が妄想癖のある極右か何かなのではないかと。何のことはない。SF界の巨人、フィリップ・ディックが1962年に発表した「高い城の男(The Man in the High Castel)」の設定である。このSF小説の中では第二次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカ合衆国はドイツと日本に分割統治されている。そこでは「高い城の男」という謎の人物が書いた「いなご身重く横たわる」という小説が密かに流行していた。実は連合国が枢軸国に勝利していたのが真実であるという内容故に発禁本とされているのだが、一体何が真実なのかを確かめるために、その謎の人物に会いに旅をするアメリカ人女性を中心に物語が展開されていく。
歴史改変SFなのだが、しかし、ここには人間が言葉を使い始めてから続いてきた真実は曲げられてはいないし、これはいくらSF小説でも真実なので曲げようがない。それは単純に戦争に勝った側の言語が、負けた側の言語より優位になる、という真実である。程度の差はあれ、政治的に優位な方の言語が、劣位な方の言語に優先する。この例外を筆者は知らない。台湾やパラオの年寄りが日本語を話すのも、チュニジアやモロッコなどの北アフリカでのフランス語の使用も、南アメリカでのポルトガル語、スペイン語の使用も、もっと遡れば欧州の諸言語にラテン語が影響しているのも、みな同じ真実から来ている。そして昨今の日本における英語の使用も、同じ真実が作用しているだけである。
ところで、筆者は過去20年以上に渡り、日常的に様々なビジネスパーソンといろいろな意見を交換してきたが、誰一人として英語を必要とする人に会ったことはない。実は誰も英語なんて必要としていないのだ。英語が必要だなんて、ビジネスの世界を知らない役所や教員が自分たちの仕事を作る為、または意図的に特に米英の手先となって彼らの利益の為に、日本国民に真実を捻じ曲げて、必要だなんて言っているだけである。教育の成果を発揮すべき卒業後の世界(そのほとんどはビジネスだろう)、そして卒業生の活躍の為に国家が税金を投入している英語教育なんて、本当はビジネスの世界では必要としていないのである。
というと読者は混乱するだろうから、もう少し正確に書こう。学校を卒業したほとんどの人が入るビジネスの世界では、「英語そのもの」は必要としていないのである。「英語そのもの」を必要とするのは、英文学者とか言語学者、英語関係の役人や英語教師ぐらいのものだろう。ほとんど全ての人が必要とするのは、言語そのものでなく、それが作用した結果なのである。ビジネスであれば、英語でなく、英語を媒介としたビジネスを成立させることこそ重要なのだ。アカデミアでも同じだろう。話が通じればいいのである。恋人同士であれば気持ちを伝えること。英語は単に伝える手段にすぎない。
筆者はよく宅配ピザ屋に例える。ピザが話の内容。宅配バイクが言語という内容を届けるメディア。当然、ピザが旨いことが肝心だ。ピザが不味かったら売れないので、届ける必要もない。届けることをいくら上手くしても、ピザ本体が不味かったら本末転倒だ。そしてピザを届ける手段はなんでもいいのだ。多くはパイクだろうか。でもピザ屋の隣宅からのオーダーだったら歩いて届けるだろう。これからはドローンで届けるようになるかもしれない。自走ロボットでもいいだろう。確実に安全に早く届きさえすれば、届ける手段はなんでもいいのだ。ピザの旨さを追求せずに、宅配バイクの乗り方を追求している人がいたら、それは単に錯乱しているだけだが、英語となるとどうだろう。全く多くの若者が人生の貴重な時間を無駄にしているのがわかるだろう。
ここで質問。日本で生まれ育った日本人にとって、言語的に一番有利な世界はどんな風だろうか?少し想像してほしい。
そこで、何か特殊な道具を使って、英語をペラペラと話している日本人を想像した読者は、かわいそうだが、かなり米英に洗脳されている。(征服者側(日本に上陸してきた米および英連邦のことです。念の為)からすると良き非征服者(日本人のことです。念の為)であり、歴史観が欠如していて政治意識の低いかわいそうな日本人は、日本での英語関係の教育行政官や英語教師としては最適である。
日本人にとって言語的に一番有利な世界とは、日本が世界を全て征服し、人類の全てが共通言語として日本語を使わなければならない世界ではないか。日本人以外は、全て第二外国語として日本語を話してくれれば都合がいい。外国人が世界のどこであれ、生まれてからすぐ日本語で育っては、日本語が上手くなりすぎるので、長期的には日本人には都合が悪い。ローカルな言葉で生活してもらい、日本語は学校で教えればいい。そうすると日本人が一番上手く言語を使えることになるし、日本人の使う日本語が唯一正統であり続けるし、日本人の日本語教師もどんどん養成して、世界中に送り込める。日本文化を世界中に浸透させて、世界中でビジネスを有利に進め、日本語の小説だってマンガだって億単位の部数で売ろう!ノーベル文学賞の選考委員が全員日本語で世界中の文学を読まなければならないようにしよう!
と書くと、ほとんど妄想狂のように感じるかもしれないが、日本を米英に置き換えてみればさほどクレージーなことを言っているのではないことがわかるだろう。このように現実のところ政治経済文化と言語は切っても切れない関係であるのだ。学校を終えたほとんどの人が入っていくビジネスの世界では、グローバルにビジネスを展開する必要があるならば、たまたま現在は圧倒的な勢力を誇る英語が必要になるだろうが、実はビジネスさえできれば、将来は中国語でも、他の何語でもいいのである。「英語」そのものではなく、その位置にある言語さえ習得できればいいのだ。そして、それが日本語であれば日本人にとっては都合がいいが、現実はそのようにはならないので、日本人は英語なり中国語なりの習得に、時間と金をつぎ込み続ける運命にある。しかし、どう転んでも母語ではないので、いつまでも英語や中国語のネイティヴより不利な位置にあることに変わりはない。
大学入試時や大学時代が英語力のピークだったという人は多いだろう。しかし、例えば共通テストの英語読解問題が日本語だとしたら、東大や京大の英語読解問題が日本語だったとしたら、TOEICの問題が日本語だったとしたら、日能研に通っている小学6年生のふつうのレベルのクラスの子供でも、内容なんて完全に理解できるレベルの文章でしかないのだ。むしろ簡単すぎて、彼らはどこかにひっかけがあるのではないかと勘繰る位のレベルの低さだろう。われわれ日本人は、莫大な時間と金をつぎ込んで、日本語にすればぜいぜい小学生レベルの英語に消耗され続けてきたし、これからもそうなのだろうか? その時間をどう埋め合わせればいいのか?われわれ日本人が英語の習得に消耗している間に、英語ネイティブは自分たちの母語で思考を深められるというのに、STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)の勉強に全く多くの時間をかけられるというのに。歴史を学べるというのに。詩を楽しめるというのに。いくら敗戦国だとはいえ、これは日本人にとってはどんな分野にせよ国際的に活躍するためには圧倒的に不利な状況ではないか(同じことが、他のマイナーな言語を母語とする国全てに当てはまる)。ビジネスだけでなくアカデミアでも、特に言語依存度が高い人文系、社会科学系においては、圧倒的に不利である。
と書いていくと筆者は英語が出来ないように聞こえるかもしれないが、何十年も毎日のように英語ネイティブと英語で仕事をしてきた上で、このように言っているのである。ちなみに学生の頃は、大学入試で言うとどんな英語の試験も制限時間の半分程度で終えてほぼ正解、そして大学学部は英語日本語半々で勉強して、留学前のTOEFLでもほぼ満点、大学院からは全て英語で学んできた。社会に出てからは英語日本語半々で仕事をしてきた。しかし、それでも英語はなかなか苦手である。母語ではないからだ。出来れば出来るなりの、どうしても埋め合わせられない溝が見えてくるのだ。
進化するAI翻訳の実力
そんな不利な日本人の状況を、有利な立場にある米英側が改善してくれるだろうか? 日本人は英語で言いたいこと言えなさそうで不便だから、10億ドル投資して自動翻訳装置を開発しよう、なんてトランプ大統領が言うだろうか? 政治の面ではむしろ日本人を不利な状況のままにしておくのは当然だ。しかし、経済の面では儲かれば投資する米英企業はあるかもしれない。だが, 例えばGoogle翻訳の稚拙なレベルを見てもわかるように、本気で日本語―英語間の言語的な障壁を無くそうとしているなんて思えない。そのような意図があっても、商売の面からは話者の多い言語間、つまりスペイン語―英語間とか、中国語―英語間が優先されるだろう。
結局は不利な側が何とかしないといけないのだ。そして幸いにも、ここにきて光明が見えてきた。ここではわれわれ日本人の未来を変えるだろうテクノロジーの例として、みらい翻訳を紹介する。
みらい翻訳とは、NTTドコモやNTTコミュ二ケーションズ、パナソニック、翻訳専門会社である翻訳センターが2014年に設立した会社であるが、技術のコアの部分はNICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)が30年も前から継続してきた研究成果に基づいている。無料で使えるお試し翻訳(と言っても日本語から英語の翻訳だと、日本語2000字までを一気に英訳できる)を筆者は実務でも用いている。自分でいちいち翻訳するよりも圧倒的にスピードが速いからである。日本語と英語で資料を作成せねばならない場合など、先ずは日本語で資料を作成し、それを一気に英語に訳す、そして校正する、という作業手順で、実務の効率が大幅に上がっている。
お試し翻訳の画面は非常にシンプルに出来ている
とは言っても何がすごいかピンとこないだろうから、具体的な例を見てみよう。
以下の文章は、『市民研通信』第52号に掲載された[翻訳]パーム油栽培の生物多様性に対する影響の原文であるThe impact of palm oil culture and biodiversityのLevel 1: Highlightの一番初めのセクションである。
【続きは上記PDFにてお読みください】