5/30(月)19時より 第1回「市民研通信・談話会」

投稿者: | 2022年5月10日

市民研通信・談話会 を始めます

市民科学研究室の機関誌である隔月の『市民研通信』には毎回6本ほどの記事論文が掲載されますが、その多くは、市民研の調査活動の成果やイベントの報告、そして会員である方々にかいてもらっている連載や書評だったりします。つまり書き手と読み手がともに集って議論するのが容易い、という環境ができています。

そこで、市民科学研究室創設30周年(前身である「科学と社会を考える土曜講座」を1992年5月に開始したことから数えて)となる本年5月から、『市民研通信』が発行されるごとに―つまり2ヶ月に1回―、その最新号の記事論文の執筆者で都合のつくか方々、そして会員の皆さんに限定せずにその号の何らかの記事論文を読んで興味を覚えた方々ならどなたでも参加できる形で、オンラインで結んで感想や意見を気軽に交わす「談話会」を設けたいと思います。

実施と参加の要領は次のとおりです。

実施日:『市民研通信』最新号が発行されてから1か月以内のいずれかの月曜日の19時から(2ヶ月に1回くらいの頻度となり、前もってウェブサイトで告知します)。
時間:19時から21時の2時間
記事論文の執筆者の参加:都合がつく限り、できるだけ参加いただくようお願いします(出席できる方々には一人5分以内で執筆された論文の内容紹介をしていただこうと思います)。
読者の参加:会員ならびに非会員のどなたでも参加できます。
参加申し込み:専用サイトからお申し込みください。
参加費:無料です。
事前質問などの受付:以下の送信フォームを使って、予め質問などを送っていだければ、談話会ではそれらの優先して取り上げることになります。執筆者が出席できな場合でも、何からの回答をいただくようにしたいと思います。このフォームによる意見の送付は、談話会の実施日の3日前で締め切らせてもらいます。

というわけで、第1回目の実施は次のようになります。
ふるってご参加いただけばと思います。

第1回 市民研通信・談話会

●実施日:5月30日(月)19時から21時

●取り上げるのは:『市民研通信』第66号(2022年4月)の次の8本の記事論文です。
家庭裁判所における「科学」の問題
アーカイブ研究会 ~じぶんたちのために、つくる、しらべる~
博物館活動への市民参画: 植物標本デジタルアーカイブプロジェクトの推進力として【前編】
連載:開発主義政治再考 第6回  補論/『技術の社会史』と『現代技術評論』をつなぐ
携帯電話などの電磁波と青少年の脳腫瘍の関連を調べた国際疫学研究の結果
私の世界市民科学「再」探訪 ~ “Living Knowledge”国際会議によせて~
連載「博物館と社会を考える」第12回 博物館の世界的組織の環境保全と教育への取り組み
【連載】21世紀にふさわしい経済学を求めて(15)

●参加費:無料です。上記記事論文のどれか一つでも読んで興味を持った方ならどなたでも参加できます。

●参加申し込み:以下のフォームからお願いします(記事論文執筆者の方もお願いします)。申込者には実施日当日の正午に、参加のためのzoomのURLをメールでお知らせします。

●事前の質問や意見の送付はこちらの送信フォームからお願いします(締切は5月28日正午です)。

5/30(月)19時より 第1回「市民研通信・談話会」」への3件のフィードバック

  1. 瀬川嘉之

    私の世界市民科学「再」探訪 ~ “Living Knowledge”国際会議によせて~
    ‘public engagement’をインターネットで翻訳しても「非専門家に耳をかたむけ理解し交流する専門家の関与」とは出てきません。意訳としてはわからないではありませんが。Living Knowledgeとcitizen scienceとpublic engagementとはそれぞれ何ぞやについて、抽象的でわかりにくい欧州の話を横目で見つつ、杉野さんのお考えをうかがいたいと思いました。

    返信
    1. 木原英逸

      “Living Knowledge”が「生活」Living をどう理解しているのか伺わせていただければと思います。

      最近、以下の提言で、「市民が「研究する」科学が市民科学であるとの考え方を拡げる」必要があるのではという議論をしました。釈迦に説法でしたが「市民科学研究室」についても少し触れました。ただ、“Living Knowledge”については検討できていませんので、教えていただければと思っています。
      「問い直そう!「シチズンサイエンス」と「市民科学」」『科学技術社会論研究』20号, 2020.6

      私の提言のポイントは、「生活は私的個別のものだ。そうした理解に傾けば、「生活に必要な学問を求める」生活主義は、個々人の生活上の異なる個別の欲求wantsに応えるための科学/技術、その多くは市場取引を通じてなされる科学/技術に容易になっていく。」「連続講座「日本の市民科学者―その系譜を描く」2021年2月12日実施の第6回 2021年3月12日実施の第7回に対するコメント」『市民研通信』62号 ことです。

      返信
  2. 木原英逸

    “Living Knowledge”が「生活」Living をどう理解しているのか伺わせていただければと思います。

    最近、以下の提言で、「市民が「研究する」科学が市民科学であるとの考え方を拡げる」必要があるのではという議論をしました。釈迦に説法でしたが「市民科学研究室」についても少し触れました。ただ、“Living Knowledge”については検討できていませんので、教えていただければと思っています。
    「問い直そう!「シチズンサイエンス」と「市民科学」」『科学技術社会論研究』20号, 2020.6

    私の提言のポイントは、「生活は私的個別のものだ。そうした理解に傾けば、「生活に必要な学問を求める」生活主義は、個々人の生活上の異なる個別の欲求wantsに応えるための科学/技術、その多くは市場取引を通じてなされる科学/技術に容易になっていく。」「連続講座「日本の市民科学者―その系譜を描く」2021年2月12日実施の第6回 2021年3月12日実施の第7回に対するコメント」『市民研通信』62号 ことです。

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