【連載】21世紀にふさわしい経済学を求めて(15)

投稿者: | 2022年5月12日
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連載

21世紀にふさわしい経済学を求めて

第15回

桑垣 豊(NPO法人市民科学研究室・特任研究員)

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「21世紀にふさわしい経済学を求めて」のこれまでの連載分は以下からお読みいただけます。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回

第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回

第13回 第14回

第1章  経済学はどのような学問であるべきか (第1回から)
第2章  需給ギャップの経済学 保存則と因果律 (第2回から)
第3章  需要不足の原因とその対策 (第4回から)
第4章  供給不足の原因と対策 (第6回から)番外編 経済問答その1
第5章  金融と外国為替市場 (第8回から)
第6章   物価変動と需給ギャップ (第10回から)
第7章  市場メカニズム 基礎編 (第11回から)
第8章  市場メカニズム 応用編 (第13回から)番外編 経済問答その2

 

第9章 労働と賃金

企業は、建物や機械、事務所などの生産設備(実物資本)を用意し、労働者・職員を雇い入れて生産活動を行なう。どのように生産活動を行なうかの決定権は、経営者にあり、労働者は受け身の立場にある。その結果、労働者の賃金が低かったり、苛酷な労働環境であることが問題になってきた。

これを解決すべく、計画経済を導入した国家もあったが、うまく行かなかった。計画経済を導入しなかった国や地域では、労働組合をつくったり労働規制をもうけることで労働者の立場を守ろうとした。規制が強すぎると生産性を損ない、規制が弱すぎると労働者の労働条件が悪くなり低賃金にあえぐことになる。

では、いかなる賃金水準が望ましく、どのような労働規制を設ければいいのか。労働教育はどうあるべきか。この章では、それを考える。

なお、ここでの「労働者」には、事務職・ホワイトカラーや技術職も含める。企業のサラリーマンは「肉体労働をしていないから自分は労働者じゃない。だから、労働組合になんか入らないでいい」などと、考えがちである。しかし、経営側から賃金をもらうということでは、同様の立場である。中間管理職はどちらに属するかなどの問題もあるが、個人個人の力だけでどうにかしようとすれば、圧倒的に「労働者」には不利である。特に能力が高いか、運がいい労働者だけが、いい待遇を得ることになる。経営側にとっては、大変都合がいい。

9-1 賃金水準はどうあるべきか

まず、賃金水準のことを考えてみる。賃金水準はどうあるべきか、いろいろな考え方がある。

1)生活できる水準

2)生産性に見合った水準

3)企業が利益を確保できる範囲

ひとつひとつ検討してみよう。

 

1)生活できる水準

憲法の規定する最低限の生活を守るためには、一人当たりや世帯当たりの年収はこれくらいでなければいけない、という考えがある。しかし、生産力が少なければ、賃金だけ高くしても実際に消費するものやサービス自体が不足する。途上国だけでなく、先進国でも戦争や災害にあえば生産力が不足することはある。

社会に余裕があるにもかかわらず格差が大きすぎたりする場合には、生活を保障する賃金水準は、有効な考え方であるが、ときには賃金の上限になってしまう。最低賃金を決める基準と、とらえるべきではないだろうか。

 

2)生産性に見合った水準

石油ショックの前、景気がよくて賃金がどんどん上る時代があった。経営側は、「生産性原理」という考え方を打ち出して、賃上げを抑えようとした。生産性原理とは、労働者一人当たりの生産額(労働生産性)上昇の範囲内で、賃上げを行なうというものである。

賃金が上りすぎると、利益が出なくて利払いも配当もできなくなり、役員報酬も少なくなる、赤字になることもある、最悪経営が続くかなくなるかも知れない、という主張である。

ところが、1990年代以後、賃金があまりあがらなくなってしまった。経営側が賃上げ抑制のためにとなえた「生産性原理」を、労働者側が賃上げをさせるために主張しなくてはいけなくなった。日本経済は、バブル崩壊以後、成長率が落ちたとは言え、成長しなくなったわけではなく、一人当たりのGDPは少しずつ増えている。それに見合った賃上げを、というわけである。

これは労働者個人のいだく希望であるが、これに従って賃上げをしていれば、経済全体の成長率はもっと高くなっていたはずである。その高くなった成長率に見合って賃上げをしていれば、もっと賃上げはできたはずである。

これを別の面から見る。企業が生み出した製品やサービスを買うのは、大半がそこの労働者である。その生産量を買える賃金を払わなければ、工場の操業率を落としたり、店舗面積を持て余したりする。固定資本を回収するために、値下げをして売上を確保しないといけなくなる。

適正な賃金水準を決めるには、生産性は大事な基準になる。ところが、賃金を上げなくても、売上を確保する方法がある。それは、貿易黒字を大きくすることで実現できる。生産力が低くてものが不足しがちな途上国は、輸入超過で貿易赤字を出しながら借金でものを輸入する。そういう国をあてにして、先進各国は輸出増加をはかる。国内の賃金格差と、国際的な経済格差を固定する形で、企業だけが利益を増やすことになる。

生産性に従った賃上げをすれば、国際輸出競争を激化させないで、それぞれの国を格差を広げないで豊かにできる。途上国は、先進国の輸出攻勢が弱まることで、国内産業育成の時間が確保できる。

 

3)企業が利益を確保できる範囲

今のところ、大企業の方針は、利益の出る範囲で賃金を払うということである。業績が大変悪ければ、利益が出なくても賃金を優先することになるが、徐々に従業員を減らして、利益を確保しようとする。

すでに説明したように、賃金を十分払わなければ、売上も確保できないはずであるが、輸出/外需に頼れば低賃金を維持できる。それで、先進各国ではあまり賃金が上らなくなってしまった。

それでも賃上げを要求すると、景気のいい企業であっても「賃上げしたら、業績の悪いときに下げられないから」という答えが帰ってくる。必要な賃上げをしないから、景気が悪くなりやすいという因果関係は見えていない。それに、企業にとって業績悪化は将来の可能性だが、低賃金は今の家計の重大問題である。

 

【コラム】アメリカの貿易赤字と賃金

ところで、ここにアメリカという例外的な先進国がある。アメリカは、大きな貿易赤字をかかえる唯一の先進国である。アメリカ国民は、借金をしてでも支出を確保しようとするので、賃上げをしなくても売上はあまり減らない。減らないどころが、国内生産では足りなくて輸入超過である。リーマンショック後は、貯蓄が必要であるという認識が増えてきたが、輸入超過体質は変わらない。実体は複雑で、アメリカの企業が中国に工場をつくって、それをアメリカに大量に輸出しても、統計上はアメリカの生産力には入らないというカラクリもある。雇用は中国で生まれるので、あながちまちがいではない。しかし、中国政府に輸出を減らすように要望しても、中国企業だけが輸出しているわけでないので、話が違ってくる。■

 

9-2 生産性を決めるもの

それでは、生産性はどのように決まるのであろうか。この章では、労働生産性つまり「労働者一人当たりの生産量」あるいは「労働時間当たり生産量」を考える。

 

  • 生産性は労働者個人で決まるのか

生産性は労働者の能力や努力次第である、と主流派経済学(新古典派経済学)では想定する。そこで、労働者の能力を評価してそれを賃金や待遇に生かせれば、労働意欲が高まり、生産性が高まると考える。そこで、日本では1990年代から能力主義や成果主義が流行する。しかし、だれが評価するのか、そんなに簡単に評価できるのか、という疑問が浮かんでくるが、流行は止まらなかった。

その後、生産性が大して高まったとも言えず、短期的に賃金が上下するので、労働者・職員は、以前にも増して上司の顔色をうかがうようになった。結局、業績がよくない企業が賃下げをする根拠に使うだけに終わった。一部の労働者は、高く評価されて賃金が上ったので、努力次第であるという建前は成立して、文句の言いにくい状況が実現した。経営側には、大変都合がいい。ただし、賃下げは景気を悪くして、まわりまわって経営側もつけがまわって来る。因果関係が分からなければ「あのとき賃下げしなかったら、もっと経営が悪くなった。よかった。よかった。」ということになりかねない。

 

  • 管理職の役割が大きい

ところで、本当のところ、仕事の効率は、どこで決まるのであろうか。労働者・職員本人よりも、管理職の裁量で決まる部分が多いのではないだろうか。弁護士や医者などの専門性の高い職業は、たとえ雇われであっても、自分で仕事の仕方を決められる。

日本政府が、裁量労働制(残業手当なし労働)を導入したときも、厚生労働省は年収1000万円程度以上だけに適用するという制限をもうけた。自己裁量の多い場合にだけ適用するように、現場の事情を知っている厚生労働省は知恵を働かせた。それでも、年収の下限を徐々にさげられてはたまらないと、と警戒されて2018年頃から出ていた適用拡大は実現しなかった。

通常の労働者は、ホワイトカラーをふくめて、仕事の仕方の大枠を決めるのは管理職や経営側である。その中で、労働者が左右できる生産性の高さは、最大50%ぐらいではないだろうか。平均はもっと低い。生産性を決めるのが主に管理職側だとすると、残業代は高めのほうがいい。能率よく仕事をさせないと、残業時間が増えて経営側に不利になる。これこそ、生産性向上の「モチベーション」である。

一方で、労働者の意欲を高めるための方策は必要である。そのために、有効な評価方法の確立が欠かせない。能力主義評価というのは、短期で労働者を評価をしてすぐに賃金に反影する方法であるが、短期で評価できるわけがない。そこで、従来日本企業の多くでは、数年間の仕事ぶりを見て、「出世のタイミング」で評価をしていた。今でも、表向きは能力主義といいながら、長期の観察から出世で評価をしている会社は多い。もちろん、目に見えた成果を出したときには、特別ボーナスなどの支給をすることをさまたげるものではない。実際には、もっと細かい評価の工夫が必要で、業種ごと、企業ごと、工場や職場単位の工夫もある。

 

  • 能力主義と成果主義

終身雇用制ということばがあり、日本的経営の特徴のように言うことが多い。しかし、先進国ではホワイトカラーに見られる特徴であって、日本特有でもない。また制度として確立しているわけでなく、生産性を維持しようとすれば、おのずと長期雇用になるだけである。

日本に特有なのは、ブルーカラー(現業労働者)でも長期能力評価で出世できる点である。それが働きすぎの原因にもなるので、考えるべき点であるが、一概には否定できない。これは、職務がはっきりしない日本の職場の特徴にも関係があるが、職務を限定しすぎると今度は仕事の能率は下がる。どちらがいいかではなく、どこでバランスを取るかの問題である。一方、今は不本意に非正規になる労働者が増えて、出世が閉ざされつつある。

日本企業で身につく能力は企業固有であるが、欧米では業界共通なので転職しやすいので待遇もよくなり、労働者の自由度も高いという議論がある。企業固有の能力は、業界共通の能力の上に築くものなので、二律背反ではない。企業支配から逃れられなくする面と、さらなる生産性向上につながり、企業での地位を上げる面との両面がある。1980年代までの日本企業の成長を見て、欧米各国は日本の制度に学んだ。日本はバブル崩壊で自信喪失が行きすぎて、今までの方法を捨てないといけないと思いこんだ。悲劇なのか、喜劇なのか。

能力主義の次に、成果主義が登場した。成果主義も能力主義同様、労働者の裁量が少ないとすると有効であるとは思えない。能力主義は、成果があまり出なくても本人以外の原因も考慮するが、成果主義はその結果がすべてなので、上司の指示が悪くても本人の責任にしてしまえる。最悪、無理な目標を押し付けて、できなかったら解雇・左遷・賃下げの理由にする。しかも、上司は無理なプランながら複数の方法を示して、選ばせたりする。本人も、自分の選択のせいでうまく行かなかったと思いこみやすいので、巧妙なリストラ策でも気づきにくい。

 

  • 労働教育・学習

能力主義には問題があるにしても、どうやって労働者に能力を身につかせるかという課題は残る。従来、労働者教育・社員教育で仕事を覚えさせるのが普通であった。しかも、就職当初の研修はあっても、基本的に仕事をしながら学んでいた。学校で学ぶのは基本的な知識や技術であって、就職して初めて個別職場で役に立つ能力が身につく。

今は、即戦力ということばがはやっていて、学校ですぐ役立つ能力や技術を身につけて来いという。大学の専門大学校化ということばがあるが、専門大学校でも基礎的なことは学ぶが、そのまま役立つ能力を教えるのでは一部の職場にしか就職できない。企業が出資したり理事を出したりしている学校では、学生の囲い込みを意図しているのかも知れない。

即戦力ということばは、もっと卑近な動機で唱えている可能性が高い。企業の労働密度が異常に高くなっているので、管理職に社員教育をしているヒマがない。そこで、手間と費用を学校に押し付けるために、即戦力などと言っているのではないか。社員なら給料を払わないといけないが、学生なら逆に授業料を払ってくれる。

即戦力を学校に求めても、企業の望む結果は得られないので、自分の首をしめているように見える。しかし、幹部になる社員は別に育てて、多くの社員はその時期に必要な能力だけ身につけて、使い捨てにするつもりかも知れない。使い捨てにする社員は、幹部どころか正社員にもする必要がなく、低賃金で待遇も悪く、やめても代わりはいくらでもいる、というわけである。

低賃金で不足する需要は、輸出に頼ればいい。だから、物価が上って庶民や中小企業は困っても、円安がいい。金融緩和政策の裏の目的でもある。このような構想は、1980年代から財界にはあったようで、1990年代後半から次々と実現して行くが、その結果本格的な景気回復は訪れなくなってしまった。

 

【コラム】裁量労働制

残業手当なし法案と呼ばれたように、労働時間帯は労働者の自由になるが労働時間の管理はむずかしいので、事実上残業手当は出ないことになる。法律の建前では、たとえば、法定労働時間一日8時間を超えたと見なせる場合などは、残業手当を出さないといけないが、管理できない以上、支給を受けるのはむずかしい。専門業務型と企画業務型があり、自由に仕事をすることで生産性を高める分野に導入しようという趣旨である。現実は、すでに広範に存在しているサービス残業(ただ働き残業)を黙認から公認にすることで、合法的に際限なく働かせたい経営側の思惑が透けて見える。厚生労働省も過労死などの現実から危機感をいだき、業務や年収、労働協定などの多くの制限をもうけて、働き過ぎの拡大を阻止しようとしている。■

 

【参考文献】

『職場はなぜ壊れるのか』荒井千暁 ちくま新書643 2007年

『ルポ雇用劣化不況』竹信三恵子 岩波新書新赤1181 2009年

『正社員消滅』竹信三恵子 朝日新書610 2017年

『世界経済をどう見るか』宮崎義一 岩波新書黄344 1986年

【続きは上記PDFでお読み下さい】

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