【連載】美味しい理由―「味の素」の科学技術史 第7回 「調理」を作っていくのは誰か

投稿者: | 2023年2月20日

【連載】 美味しい理由―「味の素」の科学技術史  第7回

「調理」を作っていくのは誰か

瀬野豪志(NPO法人市民科学研究室理事&アーカイブ研究会世話人)

【これまでの連載】
第1回 美味しさと健康(1) 池田菊苗の談
第2回 美味しさと健康(2) 食べられる「食品」の品質
第3回 「感覚」の科学研究と「味覚」
第4回 わが美味を求めん
第5回 「食事のシーン」を描くことができるか
第6回 新しい「味」の先に起きていく出来事

 

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「日本のお母さん」

「毎日、毎日、ご飯をつくる。何十万年も、お母さんが、続けてきたこと。誰に褒められるわけでもなく、ご飯をつくる。何十億人もの、お母さんが、続けてきたこと。ひとつひとつのご飯を受け継いで、わたしたちは、生きている。そんな今もどこかで、お母さんが、ご飯をつくっている。ただ、あなたの幸せを、願う…」(味の素CM、2012)[1]

味の素のCM「日本のお母さん」について、『炎上CMでよみとくジェンダー論』の著者である瀬地山角は、「応援・共感しているつもり」なのに「性役割の固定化・強化」であると受け取られてしまうパターンの代表的な事例として述べている。瀬地山によると、味の素社は「固定的な性役割分業を肯定したり、助長したりする影響は無いように留意し、」父親が子どもの着替えを手伝うシーンを入れたり、「母親が主人公のストーリー」のため父親が前面に出ていないと回答している[2]

食品メーカーのCMは、食事のシーンのジェンダーに留意しているのであろうが、1975年にハウス食品工業が制作したインスタントラーメンのテレビCMは、この問題の歴史において特に有名なものである。「つくってあげよう、シャンメン、フォーユー、わたしつくるひと。ぼく、たべるひと。[3]

味の素のCM「日本のお母さん」は、日本の企業のCMによる「炎上」の代表的な事例として語り継がれる結果になったが、食品メーカーのCMがジェンダーの「炎上」を繰り返すという出来事の背景には、企業やクリエイターのジェンダーに関する無理解だけでなく、コミュニケーションが含まれる食生活における「美味しさ」を匿名の何かが代替的に支えているという近代的・産業的な理解が関わっているのではないだろうか。

食生活のレベルにおける「美味しさ」には、誰が、誰のために、というWhoが含まれている。しかし、それは、はたして産業的に代替可能なのか。これは、家庭の視点よりも働く者の視点で考えるときに忘れている問題である。

近代化の「調理」を広めたのは誰か、その先に見られていた可能性

「調理」という概念は、近代日本の社会における食生活の出来事や状況を通じて広がり、その意味は大きく変化してきた。『近代日本の民間の調理教育とジェンダー』の著者である今井美樹によると、明治時代では、「調理」という用語は「主として医学者、薬学者、化学者等による調理食品の消化吸収試験」のような科学者の理論的な著書で使われていたが、その後「大正期から昭和期にかけては主として食品学者による調理食品の栄養価の分析」が行われるようになり、「軍隊の兵食や産業給食を通じて、大量調理技術、調理工学の考え方を取り入れた調理理論も提唱され、さらに家事教育の一環としての家庭料理の研究が女子教育の場で」行われるようになった[4]

1900年頃(明治30年代)まで、「調理」は男性の研究者や料理人から女性に伝えられていた。女子教育として教えられるようになった「家庭料理」は、大量生産的・科学的な「調理」が広がっていく先に構想されていた家庭の食生活の可能性を表現していた。その理論的な知識である「栄養学」と「調理」は、女子教育の主要な分野になっていったが、日本の「家政学」の方から見れば、明治時代においては「裁縫」が重視されていたため、後から加えられた科目であった。「栄養」と「調理」による家庭料理は「家政学」を科学的にしていくことをも意味し、家庭で受け継がれていた技術とは背景が異なるものであった。

 

民間の料理学校、家庭料理講習会の流行

日本で初めて女性を対象にした民間の料理学校である赤堀割烹教場は、「向学ノ志アレド家事雑事ニ追ハルルママ牛馬同様ニ堕セル婦女子ノ如何ニ多キ事」、「一家ノ柱トモナルベキ婦女の分限ハ自スト知レリ 重キ責任ノ内特ニ重キハ衣食住ノ食也」などを理由に、1882年(明治15年)に東京の日本橋で開校した。商家の多い三越の近くに教場を構え、創設者の赤堀峯吉は大名屋敷におさめる仕事をしていた江戸の料理人であった[5]

この初代峯吉は、「割烹着」を作ったことでも名前が出てくる人物である。「割烹着」は、1902年(明治35年)に女性が「調理」をするために考案したもので、それまでの襷に前掛けよりも動きやすく衛生的で、「働き者」であるとされるイメージにもなって、都市の中間層以上の裕福な家庭で好んで使われるようになった。そして、「割烹着」姿の女性像が、学校教育の教科書や、味の素の初めての新聞広告「美人商標」(1909年、明治42年5月26日)に登場した[6]

割烹着姿の「美人商標」は、経済的・経営的な「調理」の観点から味の素を使うことを訴えていた。実際には、使用人がいる裕福な家庭では、「主婦」は台所の仕事をする必要はなかったかもしれないのだが、「調理」のための割烹着は赤堀割烹教場に来るような裕福な家庭の女性たちが使うものになっていた。

初代峯吉の孫にあたる赤堀吉松は、1901年(明治34年)から1931年(昭和6年)まで宮内省の大膳職となり、明治、大正、昭和の天皇のための厨房に入った。これは、当時の料理人の関係者の間では名誉なことであった[7]。吉松は、最初の「美人商標」新聞広告に味の素を礼賛する文を寄せている。「味の素早速相試み候處風味に言外の快味なる點有之殊に調理に際して時間と手数を省き家庭料理の流行致候折柄確かに適切なる発明品と存候」。その後も「その他味の素の能書やビラにも尊名を掲げる事に同意」して宣伝に協力した[8]

割烹着の「美人商標」広告は、新聞広告やパンフレットに登場し、「調理」を教える役割を演じるようになった料理人の名前とともに、誰が言っているのかわからないが「経済と軽便とを欲せざる主婦には味の素の必要なし」や、「人躰に最も必要な蛋白質を検出して見ると澤山ある様でないのが滋養品、ない様であるのが味の素」というような「賢い」理由を語っていた。しかし、書いてあることを読み取るだけでは、露天商による口上と大差ないような、よくわからない売り文句である[9]

割烹着姿で味の素を勧める宣伝は、「料理界の諸権威は斯く推奨す」というように、著名な料理人の大集合のようであったが、彼らにはいくつかのタイプがある。最初の「美人商標」新聞広告に文章を寄せていた『食道楽』の著者である村井弦齋は「道楽」シリーズの作家として自らの「食育」の考えや自給生活を発展させていったのに対して、赤堀割烹教場と並んで味の素の社史に名前が挙げられている東京割烹女学校校長の秋穂益実などは、その一族や弟子たちを、学校、軍、栄養研究などに関係者を送り込むようになった。当時の教育的な動機や科学的な考えもあったのだろうが、料理を女性に教える民間の学校を経営していた彼らが「味の素」に先んじて手をつけていたのは、新しい「調理」を働き口にするためのネットワークが形成されていたからではないかと思われる[10]

大正から昭和にかけて、女性向けの「割烹講習会」や「家庭料理講習会」が流行した。しかし、依然として男性の料理人が教えることが多かった。この時期になると、ガス会社や、味の素の鈴木商店は、新しい「調理」の講習会を支援することを宣伝として考えるようになっていた。

 

「学校とか、公会堂とか、新聞社とか適当な会場を借りて、三、四日間連続して、家庭向季節料理の実地講習を行うもので、新聞折込広告ビラや辻貼ポスターなどで、その事を予告した上で開催することが常であった。一日の実習時間は二、三時間であって、様々な料理の実習が出来、その日からすぐにお台所の役に立つので、多忙な家庭の主婦でも喜んで聴講に来た。併し予告がその付近一帯に十分行き渡らぬと多くの人を集める事が出来ぬので、本舗はその講師連とタイアップして、本舗からビラを作ってやったり、地方新聞に記事を書いて貰ったり、また教材の味の素を寄贈したりして陰に陽にこれに応援を與えた。その代りに、講習に当っては味の素を各種料理に適当に応用し、その効果の実地宣伝に資した。(中略)講師の方では、味の素本舗後援と名乗る事に依り一般の信用をも得られ、予めの予告も行き届くし(中略)何かと便宜が得られたから、両々相援けて良い効果を攻め得たわけだ。」[11]

明治40年代から服部式料理講習会を始めていた服部茂一は、大正14年頃から講習会でも著書でも必ず味の素を勧めることを忘れなかった。講習会での味の素と講師のつながりは、ラジオ放送の料理番組にもつながっていった。数々の料理本を書いた大家で、国立栄養学研究所の調理部長であった村井政善は、味の素を取り入れた彼の栄養料理の献立を、新聞、雑誌、ラジオで公表したことで知られていた。


家庭料理講習会(大正末期〜昭和初期)1


家庭料理講習会(大正末期〜昭和初期)2

 

東京割烹女学校の校長だった秋穂益実は、大正8年頃から卒業生や新入生を引率して、毎年春に川崎工場の見学をするようになった。鈴木商店は、味の素の原料の噂を払拭するために、女学校に向けて「味の素の製造順序を示す雛形、すなわち原料たる小麦−小麦粉–途中製品たる麩素−製品たる味の素−副産物たる澱粉を瓶に詰めた見本に大体の説明書を添え、理科又は家庭科の教材に当てて貰うべく送った事があった」。また、大正11年頃から料理本を添えて味の素を女学校に送るようになっていた。もともとは、授業の「調理」の実習で使ってもらいたいという旨の書状を添えて送っていたが、「全国中等学校名簿」を入手し、女学校の卒業生予定の生徒に「名前」の宛名を明記して、卒業祝いの記念品として味の素を贈ることが始まった。「諸方の女学生卒業生から、心から喜んだ礼状が続々本舗へ来たし、また現に味の素本舗の者だというと、思いも寄らぬ時に、若い夫人やお嬢さんから、女学校卒業の折にはご丁寧なお祝を戴きましてありがとうございました、とお礼を述べられた事もよくあったものである」。

新しい「調理」は、女学校の卒業生を中心とする若い女性が個々で実践するように指導されたことであるが、その先にあった「家庭料理」を支える技術や方法の普及は、料理人の技術と産業が関わり合う民間の講習会やメディアを通じて定着してきたことである。

 

これからの「調理」の先に、自分のために、誰のために

「味」の技術の可能性には、「過剰」な食事をもたらすとともに、「代替」性という、成分を差し替えられているのがわからなくなる特徴がある。食生活のレベルのコミュニケーションにおいては、「味」の技術は、過剰なジェンダーを纏ったWhoの代替をもたらすことがある。「お母さん」は味の技術に支えられているというCMが制作され、その登場する人物に感情移入すると、「お母さん」に寄り添ってくれている味の技術があるように感じられる。しかし、その結びつきを誰が考えたのかはよくわからない。実際に生活を共にする誰かを応援する感情は、「誰かの意図」に入れ替えられる技術の可能性とは直接的には無関係である。

CMの「炎上」を商品名や表現のみの問題としてしまうと、その理由が理解されていないばかりか、食生活の「美味しさ」に寄り添うために、過剰に「男性」や「女性」であろうとする匿名的な「働く者」のひとりとしての身振りをやめられないだろう。食事のシーンのCMは、食のジェンダーにおいても、食の科学技術の可能性においても、いわゆる「働き方」においても、それが誰の考えなのか、注意が必要な表現になっている。味の素のCM「日本のお母さん」の問題は、通勤したり家事をしたり忙しくしている「お母さん」を描いているのは誰なのかということにもあったのではないだろうか。この企業はこのような生活を当然だと考えているのかと視聴者は思うかもしれないのである。これだけ「お母さん」が大変そうに描かれていながら、最後には「ただ、あなたの幸せを願う」からと言っている。食生活を共にする誰かのため、という最終的な願いは共感できても、「何十万年」も続いてきたとする「誰がつくるか」や現代の「働き方」から展開していた流れとは重ならず、視聴者の視点とはうまく噛み合わなかったのかもしれない。

自分で「調理」をする人々が増えて、実践的な意味が増していくにしたがって、「調理」は教えられるものではなく、みずからの職業として自立する可能性も示すようになった。次回は、誰のためにつくるのかという、もうひとつの「調理」の先の可能性について考えることにしたい。

【注】

[1] 味の素社のサイトでは動画は非公開になっている。https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/cm/tvcm/movie01.html

閲覧できたのはhttps://www.nicovideo.jp/watch/sm21556502

父親と思われる男性の様子や原始時代の食事のシーンなどが「炎上」の理由として挙げられている。

[2] 瀬地山角「味の素が流した、『とんでもない』性差別CM」東洋経済オンライン、2014年8月8日。https://toyokeizai.net/articles/-/43365

[3] https://www.youtube.com/watch?v=q7LfLhsqdlA

ウィキペディア「私作る人、僕食べる人」https://w.wiki/3Bmb

[4] 今井美樹『近代日本の民間の調理教育とジェンダー』ドメス出版、2012年、94ページ。

[5] 同書、201〜210ページ。

[6] 同書、214ページ。

[7] 同書、200ページ。

[8] 『味の素沿革史』、701ページ。

[9] 『味の素株式会社社史』、54ページ、102ページ。

[10]『味の素沿革史』、699〜701ページ。

[11] 同書、697〜700ページ。

 

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