【連載】日中学術交流の現場から 第13 回
北京からゴジラ同級生俳優、宝田明さんへの手紙(第四便)
山口直樹 (北京日本人学術交流会責任者、市民科学研究室会員)
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空の怪獣ラドンのポスター(wikipediaより)
はじめに
ゴジラを製作した東宝が、創設の時期から中国と深い関係にあったことを第三便で書きました。
しかし、戦後の東宝の怪獣映画からは、中国大陸(支那、満州)が消されていきました。
ゴジラ映画では、日米安保条約を基礎とした地政学的な理由から仮想敵国である中国大陸(支那、満州)が出てきません。
私の知る限り例外的には東宝怪獣映画では『空の怪獣ラドン』(1956)に北京が出てきます。この映画では、北京から電報を打っているシーンが出てきます。また『ゴジラファイナルウォーズ』(2004)では上海に怪獣があらわれるシーンがあります。数少ない例外的なシーンです。
一方、2009年、私が、北京大学のキャンパスのなか中国人の友人から聞かされたところでは、中国共産党のお偉いさんとその家族限定で『空の怪獣ラドン』(1956)の鑑賞会が行われていたことがあったらしいのです。私に情報をタレ込んでくれたその中国人の友人は、中国共産党のお偉いさんの孫だったのです。無論、大多数を占める中国の一般の人たちは、日本の怪獣映画を知りません。戦後日本の怪獣映画からの中国の表象が消されると同時に中国側は、中国側で日本のゴジラ映画が、反核のメッセージを内包しているために映画館で上映するというようなことは回避してきました。だから怪獣映画における日中双方の交流は、断絶してきたのです。
核の問題から切り離されたウルトラシリーズが中国のテレビ局で放送され、中国の若い世代に大きな影響力を持っているのとは対照的です。
本多猪四郎監督や宝田さんのように中国と関係の深い多くの人たちが、制作にかかわっていたにも関わらず、中国のことが、あまりに無視されすぎており、不自然と言わざるを得ません。
この状況を打破しようとした一つの試みが、私の“北京ゴジラ行脚”だったといってよいだろうと思っています。
1.池部良と相性の合わなかった宝田明
先日、宝田明事務所でもらった『ゴジラは僕の同期生』(筑摩書房2018)を読んでいたら東宝の先輩である池部良さんのことが出てきます。池部さんとは十本の共演作があるそうですが、たとえば以下のような部分です。
『雪の炎』は、白川渥の小説が原作でしたが、丸林久信監督でこの作品で僕は、はじめて司葉子と共演したんです。僕と彼女で主役を演じることになった。池部さんとしては、はっきり言って面白くないんですね。東宝でも若いコンビの誕生って大いに宣伝していましたから。「なんだ、あの宝田ってのは?俺の後を追う存在なのか」って。そうすると撮影所のサロンに僕がお昼を食べに行くとね、池部さんが食事をしているんですが、東宝の若手の俳優さんたちが池部さんと一緒に立ち上がって出て行ってしまう。スタッフはもう、見てわかるんですね。「ああ村八分か」って。それで僕は「なんてけつの穴の小さな奴らだ。俺はソ連の兵隊に撃たれて、死ぬ思いでここまで生きて帰って来たんだ、異民族とも仲良くやって来たんだ、お前らとちがうんだぞ」と思いましたし「なにくそ」という気持ちがムラムラとわいてきましたね。(85頁)
池部さんは宝田さんのことをライバル視し、快く思っていなかったということなんでしょう。
俳優、池部良といえば、東映任侠映画において高倉健とともに最後は敵陣に殴り込む俳優として著名です。中国では『君よ憤怒の河を渡れ』(1976)という映画が、大ヒットしましたが、この映画、検事役の高倉健が主演で、その上司役として池部良氏が出演しています。多くの中国人には、高倉健の上司として認識されています。
この映画は、改革開放期に中国で公開され、爆発的に支持されました。それは高倉健演じる主人公が、無実の罪で追われるという内容であるため、文化大革命で罪をでっちあげられ、糾弾された人々は、高倉健を自らに重ねて熱狂的に支持したのでした。だから池部氏は中国では高倉健の上司役として知られています。
高倉健が、なくなった時は、追悼も兼ねて2015年1月18日、第154回北京日本人学術交流会でこの映画の上映会をやり、参加者で共同討論したこともあります。
その時、参加してくれた北京放送(中国国際放送)のアナウンサーだった高橋恵子さんから声がかかり、2019年9月、東京新宿の工学院大学孔子学院において作家の莫邦富さんと私がパネリストとしてこの映画を論じました。
もし、ここで潰されていたら後の俳優、宝田明はなかったでしょう。
とはいえ宝田さんもまったく孤立無援というわけではありませんでした。たとえば以下のような箇所です。
撮影所の前に飲み屋というか、食事処で「マコト」という店がありましてね。そこに夕方の撮影が終わって、五時から六時までの一時間の休息で僕が入るとママが出てきて、「宝田君、つらいでしょう?みんなはなしているわよ。出る杭は打たれるって。我慢我慢」なんて声をかけてくれるんです。僕も男ですからね「そうなんですよ、つらいんですよ」なんて泣き言は言えない。(85頁)
食事処「マコト」のママは、宝田さんの理解者の一人であり、「宝田君負けちゃだめよ」と応援していたそうですね。当時の撮影所のかなりの人たちが、池部氏らの行動を問題視していたということがわかります。たとえば、経済評論家の佐高信氏は、『田原総一朗への退場勧告』(毎日新聞社2008)で、以下のように述べています。
『文芸春秋』2005年5月号を開けば、こんな人たちが、アベ、アベ、アベの大合唱である。西尾幹二、三宅久之、水谷研治、日下公人、佐々淳行、古森義久、谷沢永一、池部良、児玉清それに田原総一朗。いまこそこれらアベを推した「識者」の「見識」を聞きたいものだ。(126頁)
私は、この安部晋三を支持しアベ、アベ、アベの大合唱をしたものの中に俳優、池部良氏がいることに注目しました。
NHKの番組で安倍晋三のことを指すと思われる「戦争を引き起こす可能性のある政治家に票を入れるべきではない」と発言し、NHKアナウンサーにその発言を止められた宝田さんは、やはりここでも対極にいるといっていいでしょう。 日本軍の中尉として南方で敗戦を迎えた池部良氏とソ連兵に撃たれ死ぬような思いで満州から引き揚げてきて、当時まだ少年だった宝田さんとでは、当時の日本社会における位置が、大きく違っていたということもあるでしょう。また、当時の日本社会には、満洲から引き揚げてきたものに対する差別や偏見もあったでしょう。
そうした状況のなかで辛苦をなめて来た宝田さんを支えた人が、また中国とかかわりの深い人なのでした。
『銀幕に愛をこめて―ぼくはゴジラの同期生』(筑摩書房2018)には以下のようにあります。
宝田の東宝ニューフェイス応募のきっかけとなったのは、東京都豊島区池袋の要町にある「中垣スタジオ」である。昔ながらのスタジオ付きの街の写真屋であり、先代なき現在、先代の娘さんの夫である中垣章さんが継いでおられる。先代の中垣欣司(1914年~1989年没)は、屯田兵の二世として北海道に生まれ、東京で写真を学び、故郷に戻って写真店で働きながら、修行を積み、再び上京し、数か所のスタジオで働く。
1941年写真技師として中国北京にわたり、そこで終戦を迎えた。引き揚げ後、池袋西口のマーケットで「中垣スタジオ」を開業。一年ほど後、東口の写真スタジオを借り受け、第十高女(豊島高校)の仕事を請け負うことになり、香川京子のオーディション写真も撮った。(41-42頁)
つまり、東宝を受けてみるように宝田さんにすすめたのは、池袋で写真屋を営む中垣欣司さんであり、中垣さんがいなければ、宝田さんが東宝に入っていたかどうかはわかなかったということですね。そしてその中垣欣司さんは、1941年から北京に写真技師としてわたっており、中国に縁の深い人だったということです。なぜ2011年3月11日、あの大地震が起こっていた直後に北京にいる私のところに電話をしてくださったのか、これを知ってちょっとわかったような気もするわけです。なお2011年3月10日放送の「徹子の部屋」のゲストは、宝田さんでした。ちょうどこの日の放送を見て3月10日に宝田さんに電話をくれた気仙沼の友人の医師夫妻を翌日の東日本大震災でなくされたということを宝田さんは、2015年放送の徹子の部屋で語っています。
2.人類への警告としてのゴジラーアメリカにおける宝田明インタビューをめぐって
池田淑子編著『アメリカ人の見たゴジラ、日本人のみたゴジラ』(大阪大学出版会,2019)という本には、カール・ジョセフ・ユーファートは、第6章「西欧のためのモンスター?それとも日本のもの?-大怪獣の「アイデンティティ」をめぐる映画製作者の視点」という論考が載っています。150頁には、ニューヨーク市で撮った宝田さんと彼が、一緒に写った写真が掲載されています。宝田さんが、ピースサインをしている写真です。
そのなかでカール・ジョセフ・ユーファートは、「英語のモンスターmonsterの起源は、中世後期の古仏語、monstrum「(重大事が起こる前兆あるいはモンスターであり、)」これは警告するのラテン語monereから由来する」(152頁)と書いています。これは重要な指摘です。つまり、モンスターは、人類への警告としてあらわれているということを彼は意識しているということです。『ゴジラ』(1984)のお披露目会である俳優が、「私はゴジラが許せません」と述べたことがあります。ここに決定的にかけているのは、ゴジラは、アメリカの水爆実験によって安住の地を追い出され、自らの意に反してこの世界に現れてしまったという認識です。カール・ジョセフ・ユーファートの認識は、ゴジラが自らの意に反してこの世界に現れてしまったことをよくとらえているといえます。
この論考のなかで彼は、宝田さんの2014年のインタビューの次の言葉を取り上げています。
破壊者ゴジラが戻ってくるのを防ぐには、人類は次の二つのうち一つを行わなければならない。地球が完全に滅亡するまで核戦争を続け、バカげた争いを続ける。そうすればゴジラの余地はないのである。もうひとつの選択肢は、人類が平和な世界を創造するために団結することだ。世界中があまりに平和であるためにゴジラが介入する余地がないからだ。
どちらの道を進むかは人類の英知にかかっている。観客はどちらがよいのだろうか。
ゴジラを神聖な獣と呼んでも決して誇張にはならないだろう。(174頁)
私は、『市民研通信』第58号・連載第3回「ゴジラ・天皇制・市民科学-令和ブームに抗して」において以下のように書いたことがあります。
ゴジラを倒し、滅ぼせないのは、怪獣だけではない。
ゴジラを分析し、人類の英知である科学技術の粋を結集してつくったメカゴジラもそして自衛隊や国連軍もゴジラを依然として倒すことはできないのである。
この意味でゴジラは、「不滅」の怪獣である。
だが、このゴジラの「不滅」は、理由のない不滅ではない。
高橋敏夫は、『ゴジラが来る夜に』(1993)において「理由なき不滅すなわち存在するというただそれだけのことによって自らを不滅の高みにひっぱりあげている「不滅」の存在をわれわれは残念ながら現代史においても依然として所有し続けている。いうまでもなくあの「不滅」の象徴である。この「不滅」の感覚が、われわれの社会を理由もなく浸透しているからであろう。あのおそるべき空疎な、それでいて権威的な言葉「……は永遠に不滅です。」などという言葉が不意に顔を出してしまうのである。だがゴジラの「不滅」はそのような意味の不滅ではない。ゴジラはいわば歴史としての「不滅」である。存在の理由が消えれば、死滅するはずの存在なのである。」と述べている。
これは、ゴジラについて書かれた文章のなかでも最も優れた文章のひとつである。
おそらく、この箇所が、宝田さんのインタビューの言葉に関係のある所だと思われます。ゴジラが、あらわれ続けているのは、地球上で核実験が行われ続けているからであり、そのことがゴジラを「不滅」の存在にしているということなのでしょう。
『ゴジラ』(1954)のラストで山根博士が、暗い海面をみつめてつぶやくように言う「あのゴジラが最後のゴジラとは思えない。世界のどこかで水爆実験が行われるならば、またゴジラの同類があらわれてくるかもしれない」という言葉はいまもこの世界に響き続けています。
つまり高橋敏夫氏がいうようにゴジラは「いわば歴史としての「不滅」である。存在の理由が消えれば、死滅するはずの存在」ということなのです。人類が核兵器のみならず、原子力発電所をも廃絶し、平和な世界を創造するなら、ゴジラの介入のしようがなく、ゴジラの存在理由は、消滅することになります。「ゴジラがあらわれたゴジラを殺せ」ではなく「ゴジラがあらわれた人間が変われ」という方向性を示唆してもいます。
ゴジラはもともと最初からそのような理念が含まれている怪獣でした。
『ゴジラ』(1954)制作のプロデューサーの田中友幸氏は、この作品の理念を「人間が文明によって復讐される」理念だとしていました。この理念には田中友幸氏と関西大学で知り合っていた脚本家の馬淵薫氏が、示唆を与えた可能性があることを前回の手紙で書きました。
さらに宝田さんは、ヤン・ステンによる2017年インタビューではゴジラについて次のようにも述べています。
明らかにゴジラは、破壊者であるだけではなかった。ゴジラは海洋で放射能の洗礼を受け、体の中に放射能が蓄積したため、地上にたどり着くまでにそれを放出し始めたのだ。
だからゴジラは、単なる都市を破壊する怪獣ではないのだ。
私は、むしろやつを警笛や忠告を人類に伝える媒介者としてみていた。
これは映画の撮影に従事した時の我々の理解だった。ゴジラは力であり、生き物でもあり、アメリカであるとの同様に原爆でもあったが、日本でもあった。
国民でもあった。恐怖でもあった。繰り返しになるが、姿を変えるものであり、グローバルな人類そのものだったのである。(171頁)
ここでは、ゴジラが「人類への警告」であるとともにゴジラというアイコンの多義性について述べられています。中国大陸をのぞく世界中でゴジラが、よく知られ、支持されている理由のひとつが述べられているといっていいでしょう。
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