連載「日中学術交流の現場から」第9回 民衆立研究所を構想した科学者、神田左京とその協力者たち―戦前期日本における市民科学者の系譜(最終回)

投稿者: | 2021年11月4日
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【連載】日中学術交流の現場から 第9 回

民衆立研究所を構想した科学者、神田左京とその協力者たち

―戦前期日本における市民科学者の系譜(最終回)

山口直樹 (北京日本人学術交流会責任者、市民科学研究室会員)

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はじめに

現在、1920年代初期に構想されていた民衆立研究所のことを知るものは少ない。なぜならその研究所は、構想段階で挫折し、実績を残さないまま消えてしまったからである。

その構想をいち早く打ち出したのは、神田左京という科学者であった。

そしてそれに協力する協力者たちも帝国大学教授の中に存在していた。

それが、九州帝国大学医学部教授、宮入慶之助、九州帝国大学工学部教授、河村幹雄、九州帝国大学工学部教授、丸沢常哉、東北帝国大学工学部教授、佐藤定吉たちであった。

彼らは、当時の科学研究の最先端を行っていたドイツに留学したものが多く、いわゆる“洋行帰りの帝大教授”という、日本社会で大きな権威をもった科学者が、協力者として名前を連ねていたのである。その具体的な経歴、業績、科学思想についてはすでに触れたので、ここではそれは繰り返さない。ここでは、巨大資本のための科学研究ではなく民衆のための科学研究に重点を置く民衆立研究所の構想を打ち出した神田左京の経歴、科学思想、人間観、社会観などに焦点を当てる。そして、他の協力者との関係やこの稀な理念を掲げた研究所はどのような経緯で構想されたのか、また、なぜ実を結ばなかったのかについての歴史的考察を行い、未来の日本の市民科学への糧とし、この論考の締めとしたい。

1. 神田左京の経歴

最初の論考で神田左京の経歴については簡単に触れたが、ここではもう少し詳しく神田の経歴をみてみよう。

1874年7月8日  長崎県北松浦郡佐々村で出生。
1890年7月 同尋常小学校卒業。
1901年4月 兵庫県西宮、関西学院普通部を経て高等部を卒業。
1904年9月―1907年7月  東京市牛込区、成城学園教師(英語)
1907年9月―1912年6月  米国マサチュウセッツ州ウースター市、私立クラーク大学の奨学金を得て在学、マスターを取得。
1912年-1914年各年の6月から9月   マサチューセッツ州、ウッヅホール臨海実験所においてジャック・ロエブのもとで研究。
1913年9月-1915年6月   ミネソタ州立ミネソタ大学の奨学金を得て、生理学を研究、ドクトル・オブ・フィロソフィーとなる。
1915年9月   帰国。
1916年3月―7月   京都帝国大学医学部生理学教室において生理学を研究。
1916年7月-1926年2月   九州帝国大学医学部臨海実験所(福岡県)嘱託。ウミボタル、ゲンジボタルなどの発光生物を研究。
1920年10月   九州大学教授三名の同志とはかり「民衆立研究所」を設立。
1927年11月   上京。麹町の眼科医、大島濤兎方に寄寓。
1928年5月   理化学研究所嘱託。(生化学に関する研究)
1935年12月   『ホタル』自費出版。
1936年-1938年各年の夏一か月   東北帝国大学浅虫臨海実験所(青森県野内村)でウミボタルなど発光生物の研究。
1939年7月7日 神奈川県藤沢町辻堂、長谷川病院において死去。[1]

以上が、神田左京に関する簡単な年譜である。

神田は、1915年に8年ぶりに日本に帰国するが、学閥意識の強い日本の学界の体質やあまり人付き合いを好まない性格もあって、定収のある職には、つけなかった。幸い、神田の人物と才能を見込んで、生活費や研究費を支援してくれる人に恵まれている。まず彼と同郷の炭鉱業を営む浜野治八が、最初のスポンサーとなり1918年7月から援助している。

神田の上京後は、麹町の眼科開業医、大島涛兎が1927年11月から自宅に住まわせるなど、衣食住の面倒を見ていた。これは、同じく眼科医であったこともある九州大学医学部教授の宮入慶之助の紹介によるものであった。 

 2.  神田左京の科学思想

日本ではアメリカに行く前、成城学校で英語教師をしていた。語学力は非常に高かったという証言がある。

生物学を志した動機はよくわかっていないが、その直後からウッズホール臨海実験所およびロックフェラー研究所において、ジャック・ロエブの指導により「ゾウリムシの走行性に関する研究」を行った。

ロエブは当時の代表的な実験生物学者であり、唯物論的生命観の立場から、生理現象の物理化学的研究を進めていた。神田はロエブの人物および学風に深く私淑し、その後の人生に大きな影響を受けた。そして彼は生物発光とそのメカニズム解明に傾斜していくのである。

そしてロエブの生命観に関しても論考を訳して発表している。哲学雑誌第358号(1916年12月)に

「ロオエブの「生命機械論」」として神田左京が、訳した論文が掲載されている。

冒頭部分で神田左京は、以下のようにと述べている。

ジャック・ロオエブ教授は世界に名を知られたる生理学者である。

1906年以来、ロックフェラー研究所の実験生物学部長となって、専ら動物の生殖作用の理化学的研究に没頭している人である。そのロオエブ教授が1911年9月、ドイツの有名な化学者オストワルド教授を中心として開かれた第一回の万国一元論者大会に招かれて一場の講演をこころみたのが、すなわち本文である。

訳者は、かつて米国あってロオエブ教授の教えをうけたものである。一日、同教授と四方山の話をしたその中に教授は次のようなことを語られたことがある。

それは第一回の一元論者大会の前、教授はドイツのカイゼル・ウィエルヘルム研究所に招待されることに内定していたそうである。

ところがこの講演を試みたために、それが沙汰やみとなってしまったという逸話が本文にはあるのである。[2]

ここにでているオストワルドの本『化学の原理』(1915)をドイツ語から訳しているのが、民衆立研究所に関心を寄せていた丸沢常哉であった。オスワルドのエネルギー一元論とボルツマンら原子論者との論争が知られているが、ロオエブは、オストワルド派の科学者だったことがわかる。

神田が、『生理学研究』(三巻9号)に発表した「夜光虫の話」では、冒頭で「海水が光るのはなぜか」と問いかけ、18世紀の末までは、この問題は全く謎だったと述べている。

中国では水の神の仕業だと簡単に片づけたが、欧米では、そういうわけにはいかなかったとし、少なくとも56人以上の人が、この原因解明に努めたと述べている。[3]

その中には、物理学者,化学者であるベーコン、ニュートン、デカルト、ロバート・ボイル、フランクリンといったような不朽の有名学者もいた。

波がたって水の分子が、互いに触れ合うから、海水は光るとニュートンは、考えた。また地球が回り、時を定め空気と海の表面が摩擦するから海水は光るとロバート・ボイルは考えた。そして海水の中の濾の分子と水が摩擦して電気を起こすとデカルトもフランクリンも考えたという。[4]

ところが、この問題のカギは、もっと身近なところにあった。というのは、光る海水を濾してみたのが解決の手始めだった。

海水を濾してみると全く光らなくなった。だからこのことにより多分、海水の中に小さな光る動物がいるのだということに気が付いたのだった。

そして、この光る動物の中では夜光虫が多いことがわかってきた。

その夜光虫に関して「太平洋、大西洋、インド洋には夜光虫が多いようです。ただ地中海には少ないようです。」[5] と神田は述べている。

では、一番、はじめに夜光虫を発見した人は、誰かなのかと神田は歴史を問うところから始めている。

古い記録を漁ったエレンベルヒ(1834)は、夜光虫をはじめて発見したという人を23人紹介しているが、一番古い人としては、ダルトウという人があげられるという。

夜光虫のような、光る生物はほとんどが、海水のなかにいるが、「世界は可なり広いが、淡水の中にいて光る生物はまだ一つも発見されていない。といっても日本のゲンジボタル、ヘイケボタルの幼虫は、淡水の中にいても光る。」 [6]とも述べている。発光生物は海のほうが圧倒的に多いといいたいようだ。

次に神田は、「冷い光」『工業大之日本』24(4)(1927年)で発光生物に関して根本的な問題を提起する。

とにかく生物は光と熱を分離して、冷い光、100%に近い能率の光を出していることがわかりました。それからまた、生物の光は水がなければ消えてしまいます。たとえば生きた蛍を乾燥器にいれ、できるだけ早く乾かしますと、蛍は死んでしまって光も消えます。しかし乾いて死んでしまった蛍をまた水に入れるとまた光ります。ですから蛍の光は蛍の生命がなくとも光ると同時に、水がなければ全く光らないこともわかりました。ここにとけない謎があるのです。 すくなくともまだ解けていない謎です。[7]

生命がなくても水があれば光るということを指摘し、何らかの化学物質が関わっていることを示唆している。そして、

蛍の発光器は真空の中では決して光りません。言葉をかえていえば生物の発光は、酸化作用です。ここに問題があります。というのは、生物の発光の酸化作用は、蝋燭、石油、石炭などが燃える酸化作用とどう違うかという問題です。この問題は生物発光の根本問題のひとつでありまして、どう解決がつくか大変に面白い研究問題です。この研究はなお探求する必要がありますが、生物の火の酸化作用は蝋燭、石油、石炭の火の酸化作用と根本的に違っていることだけは確かです。というのは後者の酸化作用では水は絶対に禁物です。ところが前者の酸化作用では水が絶対に必要です。そしてまた生物の発光には石炭の燃えるのとはまったく違ったところがあります。熱がありません。だから蛍の火、生物の火は燃えても燃えない怪火、全くの謎の火です。しかしこの謎は解けない謎ではないかと私は確信しています。[8]

蛍は何百万年少なくとも何十万年の昔から、ほとんど百%の能率の光を平気で発光しています。ところがこの冷たい光の根本の問題に一歩でも立ち入ったが、最後、生物学者にも化学者にも物理学者にも全くわかりません。

私は、大正7年以来、ゲンジボタルの発光の機構とウミボタルの光る物質の成分について、微力だが研究を続けています。この種の根本の問題は、墓場まで持っていかなければならない運命だと私は覚悟しています。しかし、この問題は必ずわかる時が来ると私は確信しているのです。[9]

問題は困難だが、一生を賭けるに値するものなのだという意気込みが感じられえる一文である。そして以下のように述べている。

というのは生物の光る物質は、生物の死後でも、かなり多量に残っていて、理化学的研究の材料になるからです。日本にたくさんいる海蛍の光る物質は特にそうです。

この光る物質は海蛍が生きていた間に製造したのは無論です。しかしウミホタルの死後でもなお大量に残っているものだから、こういう光る物質が人造されれば、冷たい光の問題も氷解しましょう。そうすると燈火の問題にも大革命が起こるだろうと思います。

これは決して夢物語でありません。しかしこの方面の問題はなお将来のものとしてさしあたり光る生物の利用法を考えてみましょう。[10]

発光生物の光をどのように応用して人間の生活に役立てることができるかについて考えようとしている。基礎研究と応用研究の両面を神田が考えていたことがわかる。

海外の研究状況に目を向け、以下のようにいう。

フランスのリヨン大学のデュボアー氏は、光るバクテリアを入れてランプを作りました。そして1900年のパリ万国博覧会に生きたランプを出品したそうです。

面白い思い付きです。またドイツのウィーン大学教授のモーリッシュ氏もバクテリアのランプを作っています。モーリッシュ氏は、デュボアー氏のランプをまねしたわけではなく、デュボアー氏のランプは全く知らなかったというはなしです。[11]

光るバクテリアのランプに注目し、その応用の可能性に思いをはせている。

バクテリアというと有害だと考える人があるかもしれません。しかし光るバクテリアは全く無害です。ばかりではなく私どもは光るバクテリアを随分食べているでしょう。というのは夏から秋にかけて光るバクテリアは、蒲鉾などについて光っていることがかなりあります。[12]

と、バクテリアの安全性について述べ、以下のように炭鉱でのバクテリアの利用の可能性について述べている。

バクテリアのランプを炭鉱のランプに利用しようというのです。炭鉱の中には時々ガスが発生して爆発することがあります。もしバクテリアのランプを炭鉱に用いることができれば、バクテリアの火は絶対に火事を起こさない火だから、炭鉱の中にガスが発生しても爆発は決して起こりません。だから絶対に安全燈です。バクテリアの光はあまり強くありません。しかし炭鉱のなかは真っ暗だから、光力の強いランプでも役に立ちます。そしてまた人間の眼は暗いところになれてくると、視力が八千倍になるといわれています。だから相補って安全燈の利用法が行われるだろうと思います。 [13]

この「冷い光」という論考に神田の研究への問題意識が凝縮されているように思われる。

 

[1] 小西正泰「神田左京外伝-ホタルと「心中」した異才」『学燈』89(7),10-11頁。
[2] 神田左京訳「ロオエブの『生命機械論」」『哲学雑誌』31(358)(1916年),68頁。
[3] 神田左京「夜光虫の話」『生理学研究』3(9)(1926年),587頁。
[4] 同上,586頁。
[5] 同上,587頁。
[6] 同上, 593頁。
[7] 「冷い光」『工業大之日本』24(4)(1927年) , 5頁。
[8] 同上, 5頁。
[9] 同上, 7頁。
[10] 同上。
[11] 「冷い光」『工業大之日本』24(4)(1927年)。
[12] 同上。
[13] 同上,8頁。

 

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