【連載】21世紀にふさわしい経済学を求めて(16)

投稿者: | 2022年7月14日

連載

21世紀にふさわしい経済学を求めて

第16回

桑垣 豊(NPO法人市民科学研究室・特任研究員)

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「21世紀にふさわしい経済学を求めて」のこれまでの連載分は以下からお読みいただけます。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回

第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回

第13回 第14回 第15回

第1章  経済学はどのような学問であるべきか (第1回から)
第2章  需給ギャップの経済学 保存則と因果律 (第2回から)
第3章  需要不足の原因とその対策 (第4回から)
第4章  供給不足の原因と対策 (第6回から)番外編 経済問答その1
第5章  金融と外国為替市場 (第8回から)
第6章   物価変動と需給ギャップ (第10回から)
第7章  市場メカニズム 基礎編 (第11回から)
第8章  市場メカニズム 応用編 (第13回から)番外編 経済問答その2
第9章  労働と賃金(第14回から)

 

第9章 労働と賃金(つづき)

9-5 労使の力関係

生産設備の生産性が高まる一方、人口が増えないということは、設備投資の額が減っても生産力は維持できる。その結果、生産にしめる労働の比重(人件費:賃金)は高まり、労働分配率が少しずつ上らなければ、経済のバランスはくずれる。生産力に対する購買力の減退つまり需要不足である。

労働分配率が下がるということは、労働所得に対して、資本所得(利子や配当)・内部留保(企業の貯蓄)が増えることを意味する。欧米では、資本所得の大きさが問題になっており、家計の格差が深刻であるが、日本では巨大な内部留保が問題になっている。日本に比べて欧米のほうが賃金が上っているというが、GDPの伸びに比べれば停滞・低下しているのは同じである。需要不足では、労働力と生産設備(資本)があまり、労使の力関係では労働者が弱くなり、金利も低くなる。

賃金を上げるべきときに交渉力が弱まるのが、景気回復を遅らせる原因である。そういう意味では、全国的に賃金水準を上げる「春闘」には大きな意味がある。生産性にかかわらず一律に交渉する意味がないなどと言われてきたが、個別企業の能力とは別に全国規模の賃金の連動性を支えてきた。労働組合の全国組織「連合」はこのメカニズムを理解せず、2000年代に入るころから賃上げをあきらめて、雇用維持に焦点をおいた。その後、遅ればせながら賃上げの重要性に気づく。経済学者がこの点を指摘できなかったことも、賃金停滞・低下を招く大きな原因となった。また、公務員給与や、医療や介護などの公的報酬を低く抑えたことが、低い賃金相場をつくる原因ともなっている。

賃金を維持・向上させるには、最低賃金制度などの労働制度の改善や順守も大事であるが、労使の力関係がもっとも大きく賃金や待遇に影響する。高度経済成長は必要ないかもしれないが、需要不足を解消して人手不足ぎみにしておくことが、正当な賃金を維持する条件でもある。世界的に労働側が弱い時代が長く続いたために、賃上げをためらう企業が多い。特にサービス業の賃金は低すぎる。待遇も悪い。これが人手不足の原因でもあるが、経済学では「人手不足なのになぜ賃金があがらないのか」という、原因と結果を取り違えた議論をしている。

経営側は、企業業績が悪くなっても賃金を下げにくので、業績にあわせて賃金をあげにくいという。賃上げではなく、ボーナスで調節する。景気にあまり影響されにくいことには合理性がある。もし、不況時に企業が一斉に業績にあせて賃下げをすると、需要不足で不況が深刻化する。ところが、1990年代後半くらいから、あまり賃上げはしないが非正規労働者を増やすことで実質的な賃下げを行なうようになった。

日本経済の生産力が低下したから景気が悪い。景気が悪いから賃上げはできない。実際に景気が悪いので、これで納得してしまう。そして、評論家などが、成長が望めない時代を前提として社会を考えなければならない、という。それを聞いた労働者や労働組合は、だから賃上げはあきらめるしかないと思い込む。不用意な発言はつつしんでほしいが、経済学者の議論が元になっているとすると、必ずしも評論家のせいだとするわけにもいかない。

その一方で、感染症拡大の前までは企業の業績はこれまでになくよくなった。感染症拡大で、事態はよりややこしくなっているが、これを機会に業績を伸ばしている企業があるとすると、その売上をどう配分するかを真剣に考えるときが来ている。経済が世界規模で連動するようになってきて恩恵を受けているのは、企業側と投資家とすると、労働者側も連帯して対抗するしくみの強化が必要である。ILOなどの国際機関の力を強める必要があるが、もっと新しいしくみを考えないといけない。過去の国際共産主義運動とは別の形で。

【参考文献】

『賃上げはなぜ必要か 日本経済の誤謬』脇田成 筑摩選書0086 2014年

 

【コラム】零細自営業者と労働者

ホワイトカラーを含む労働者のことを述べてきたが、個人経営の農家や商店、工場はどう考えるべきであろうか。EU諸国では、農家の所得保障という形で生活できる収入が得られるようにしている。農産物の高値買い入れをしないのは、農業の競争力(低価格)を維持したまま、農業を続けられるようにするためである。農業には、土地や環境・景観保全の役割があるからである。

個人商店は、高齢者が近くで買い物をする場を確保すると同時に、町並みの保全をはかり、子供の遊び場を確保するなど、まちづくりに重要な役割がある。車の自動運転が進めば、所得に対して高額な車を個人所有する人は減り、人口密度の低い地域でももよりの駅まで自動運転車で移動する未来になる可能性がある。それまで、個人商店や商店街が生き残れるかが問題であるが、今までの延長で車社会が続くとは限らない以上、衰退していくべきとは思えない。

個人経営の工場と言えば町工場であるが、これに対する援助は増えている。小泉改革のときに金融庁が中小企業向けの融資マニュアルを作成して、銀行などに配布した。大企業なみに融資条件をきびしくしたために「つなぎ融資」ができなくて、業績の悪くない企業も軒並み倒産する事態となった。その後、技術水準が高く、小回りのきく町工場の重要性に気づくことになるが、まだまだ援助は足りない。

【参考文献】

『誰のための金融再生か』山口義行 ちくま新書352 2002年

『金融庁が日本を滅ぼす』東谷暁 新潮文庫 2006年


第10章 経済政策と制御理論

経済政策の目的と言えば、通常「景気回復」「GDP成長率を高めること」をめざすことである。しかし、先進国では必ずしも生産力の増強が最優先課題ではない。生産力の成果をどのように分配するか、過大な生産力を抑制して「資源・環境問題」の深刻化を防ぐことのほうが、優先度は高い。狭い意味の経済現象を超えて、いかに社会のバランスを保ち、取り戻すのか。景気回復も生産力の拡大だけを目的としているわけではなく、失業を減らし、格差を縮めて貧困層を減らすことも含んでいる。

第10章では、経済以外のことも念頭に置きつつ、広い意味の景気回復や途上国の成長をめざす経済政策はどのようにあるべきかを考える。

産業分野別の振興策は、産業政策であり経済政策とは言わないが、エネルギー供給や金融、教育などは、経済の基盤になるので、個別産業政策にとどまらない。このような分野のことも経済政策としてあつかう。基本的には一国の経済を想定するが、地球全体にあてはまることもある。

経済政策は従来の言い方ではマクロ経済学の応用であるが、この連載で独自に展開した第3章「需要不足」と第4章「供給不足」の議論を応用する。需要不足と供給不足は、GDPギャップ(需要不足の程度)で表すことができるが、それがゼロに近づくように誘導するのがポイントであることはすでに述べたとおりである。

ところで、需給ギャップを重視した政治家がいなかったわけではない。戦前では、高橋是清大蔵大臣は余剰生産力があれば国債発行は可能であるとして、財政支出を増やしている。経済雑誌「東洋経済」を発行していた石橋湛山は、工場の稼動率に余裕があることからこれを支持した。戦後、高度成長期の政治家もGDPギャップを重視した。1990年代からは、持続的需要不足の存在を認めない新古典派経済学が主流の位置をしめ、景気回復は世界経済だのみとなってしまった。リーマンショック後、亀井静氏は、GDPギャップを埋める経済政策を実行しないと経済危機が深刻化するとして、財政支出を大きく拡大して日本経済を危機から救い出した。

複雑なシステムを目標値に向かって誘導する工学的方法が「制御理論」である。現代の制御理論が、電子機器やロボットの精密な制御を想定しているせいか、経済政策に応用できるという発想をする人はほとんどいない。しかし、ちょうど100年前の1922年に古典制御理論のPID制御が誕生している。このアナログ時代に誕生した制御理論は、経済政策や感染症拡大抑止にも有効である。実は、工学の分野でも定着した技術としていろいろなところに使っているが、新しい研究ができる段階は終わっているので、学界としてはほとんど話題になることはない。それを、GDPギャップ(景気)を制御する技術(政策)として、経済学の分野に持ち込もうというわけである。

今回は、あまり見かけない長期の経済データも登場させるので、そこにも注目いただきたい。

【参考文献】

『エコノミストの面目 石橋湛山著作集2 経済論(2)』

石橋湛山著、中村隆英編 東洋経済新報社 1995年

 

10-1 経済学と制御理論

  • 複雑系と制御理論

マクロ経済システムの内部メカニズムが十分解明できていない場合や、外部環境の変化や内部メカニズムの不確実性が大きい場合、経済予測は大変むずかしい。こういうシステムを複雑系と呼ぶ。ケインズがマクロ経済には基本的に不確実性があるとしたのも、同じことである。

一方、制御理論は、システムの状態を目標に近づけるための理論である。その中に、古典制御理論の一つとして、PID制御理論がある。これは対象が複雑なブラックボックスであっても、統計学的に制御する理論である。その特徴は、

1)予測はできなくても制御はできる

2)制御結果による途中修正(適応制御)

3)現状把握はできるだけ正確に行なう必要がある

 

  • 不確実性下の経済政策

マクロ経済に不確実性があるとすると、マクロ経済政策としては2つの方法が考えられる。これには、ミクロの主体の個々の努力では大きな限界があるので、国家やそれを超える規模の政策が必要である。

1)マクロ経済が危機に陥らないよう、経済政策によって不確実性を減らす。

2)それでも、予想できない経済危機は起きうるので、経済政策で影響を最小限に止め、安定状態を回復する。

予想できないと、経済政策立案はむずかしいというのは、思い込みである。それを乗り越える手段が、制御理論である。

 

10-2 PID制御とは

  • 制御工学では

制御対象の変数を一本化ができることが条件である。その変数の目標値と現実の値との差をゼロに近づけるのが、制御プロセスとなる。方法は、その差自身(P)、その差の累積値(I:積分)、その差の変化(D:微分)にそれぞれ重みをつけて、足しあわせることで、制御値(政策投入)を求める。積分制御は蓄積現象への対応、微分制御は遅れ現象への対応である。

制御理論・制御工学の教科書に書いてあるPDI制御の数式は、ラプラス変換を使った表現になっているので、微分積分の記号に戻す。


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