【連載】日中学術交流の現場から 第18 回市民にとって社会風刺の笑いとは何か
北京でみたぜんじろうの笑いと自民党や維新と癒着する吉本興業の笑いの差異
山口直樹 (北京日本人学術交流会責任者、市民科学研究室会員)
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2017 年 6 月 20 日、夕方、6 時半、北京で吉本興業のお笑い芸人、ぜんじろうのライブが、日本大使館近くの亮馬橋の好運街のバーで開催された。 ぜんじろうとは、どのようなお笑い芸人だろうか。私もあまりなじみはなかったのだが、かなり貴重な機会であることはたしかだったので、聞きに行ってみた。 観客は、15,6 人ほどだっただろうか。それほど多いわけではないが、日本人の 20 代から 50代の人々が聞きに来ていた。日本のマスメディアの人は、いなかった。中国で相声(中国語で漫才という意味)を学んでいる日本人や日本語教師をやりながら中国でお笑いのライブをやっている日本人女性も来ていた。 中国人で聞きに来ている人も 2,3 人いた。 ぜんじろうにとっては、はじめての中国でライブであったようだ。おそらく海外のニュースとして新聞やテレビで報じられることはないだろう。いや、しかし、だからこそここに書いておくことにしたい。そこで見たことはかなり貴重で考えさせられることが多かった。
ぜんじろうとの写真(2017年北京にて)1.ぜんじろうというお笑い芸人
読者でぜんじろうというお笑い芸人を知っている人はどれぐらいいるだろうか。 30 年近いキャリアを持っているお笑い芸人でかつては、かなり大阪ローカル―たとえば『テレビのツボ』などに出ていた―その後、『たけしの元気がでるテレビ』など全国ネットのテレビにもでていたのだが、東京のテレビに求められているものと自分が表現したい笑いとがあわないらしく次第にテレビから離れていくことになった。 だから、日本ではネット上などでは「ぜんじろうは消えた」と言われているという。しかし、テレビにでていないからといって活動を休止しているわけではない。テレビにでていないと「消えた」というのは、悪しきテレビ至上主義あるいはテレビ中心主義に陥っているといわざるをえないのだ。テレビで表現できないことというのはたくさんある。北京で行われたぜんじろうのライブはまさにテレビで表現できないことに重点を置いてなされていた。 私もライブを聞きに行ってはじめて気が付いたが、2000 年頃からぜんじろうは、日本を離れ、アメリカのニューヨークなどでお笑いのライブをやっていたらしい。 そして、その後、世界中をまわってお笑いのライブをやっているのだという。今回もインド、スリランカ、上海、無錫とまわって北京に来ていたのだ。 私は、それを聞いたとき「やはりテレビをただ漫然と見ているだけでは、真実はわからない。自分の足を使って自分の目で見なくてはわからないことも多い。」つくづくそう感じたものだ。
2.「何書いているんですか?吉本のスパイですか」
ぜんじろうのライブは、前半と後半にわかれていた。まず前半は、48 あるネタのうちから自由に観客に選ばせてそれについて語っていくというものであった。これはスタンダップ・コメディといわれるものである。マイク一本で様々なテーマについて語るという芸である。たとえば、どんなテーマのネタがあっただろうか。その一例を見てみると以下のようなものになる。 「自民党とマリファナ」「スマップ解散とタブー」「橋下市長とノック知事の違い」「英語の教科書と罠」「上岡龍太郎は変態」「ハリウッド版ドラえもん」「ジャニーズ解散の謎」「テレビ局の自粛の恐怖」「日本のユーモアとアメリカのユーモア」などなどである。 他にもいろいろあるのだが、ここにあげたテーマを見れば、ぜんじろうというお笑い芸人が、生々しい政治を回避せず、挑戦する姿勢をもったお笑い芸人であることがうかがえる。 「自民党とマリファナ」というテーマは、実は自民党が、マリファナの解禁を考えているのではないかということを具体的な例をあげながら述べるものであった。実は、世界的にみればマリファナは、解禁されているところがけっこうある。アメリカなどにおいては、州によって法律が違い、マリファナが合法化されているところもある。日本では安倍晋三の妻、安倍昭恵が大麻の栽培を鳥取県でやっているということについても述べていた。 私は、これに関しては知っていたが、在北京の日本人は知らない人も結構いた。普通のマスメディアは、こういうことは報じないからである。ぜんじろうが、自民党のマリファナに関するダブルスタンダードにお笑いで鋭く切り込もうとしていたのには、好感が持てた。私は、「なかなかやるな」と感じたのである。 それで私は、ライブを聞きながら、思いついたことをノートにメモしていたのだが、その姿が、ぜんじろうの目にとまったらしく「何書いているんですか? 吉本のスパイですか」といわれてしまった。これが、私とぜんじろうとの初対面の会話となったのである。
3.吉本興業におけるダウンタウンとぜんじろう
それにしても初対面の会話が、「吉本のスパイですか」とは、尋常ではない。 これはどういうことなのか。ぜんじろうは、吉本興業に所属するお笑い芸人のはずである。なぜ吉本興業が、ぜんじろうをスパイしにくるのか。 それは、後半の「吉本かたき討ち」というこれまたテレビでは放送不可能の漫談あるいは人情噺を聞いてみてぜんじろうがそういった理由が、わかってきた。 たしかにぜんじろうは、吉本興業所属のお笑い芸人ではある。しかし、吉本興業に所属するお笑い芸人が、みんな吉本興業とうまくいっているとは限らない。 このことをぜんじろうは、「吉本興業でダウンタウンを漢民族とするなら私は、ウイグル族です」と表現した。なるほど北京のライブならではの絶妙の比喩である。 そういえば、吉本興業に所属するお笑い芸人であるならもっと吉本興業の支援があってもよさそうなものだが、どうもぜんじろうはそういうものはほとんど受けていないようだった。 海外でライブの活動をやっているらしいが、吉本興業が、それにお金を出して支援したことは一度もないらしい。 これに関して「あの人たちとはうまくやっていけないんです」ともぜんじろうは言った。どうもぜんじろうは、吉本興業という会社とはうまくいってないようなのだ。 これには、これまでのぜんじろうと吉本興業との関係の経緯を理解する必要がある。ぜんじろうが吉本興業にはいるのは、ダウンタウンよりも少しあとぐらいである。 ダウンタウンが売れないころマネージャーをやっていたのは、大崎洋という人物であった。後に吉本興業の社長そして会長にまで上りつめた人物である。 ぜんじろうは、吉本興業にはいったころから大崎洋からは、受けがよくなかったらしい。 当時、吉本興業の会長だった林正之助(創業者、吉本せいの弟)に大崎洋が「こいつまた裏切りますよ」といったというはなしが、ライブでは語られていた。 大崎洋が、そうした発言を行ったのは、ぜんじろうが、漫才コンクールで優勝したときのことだったようだ。ぜんじろうが結成したコンビは、この漫才コンクールで林正之助会長に「エンタツ・アチャコの再来だ」と言わせたたらしい。 エンタツ・アチャコとは、戦前の吉本興業で売れっ子だった漫才師、横山エンタツ、花菱アチャコのコンビのことで、ぜんじろうはこの漫才師を研究して自分たちの漫才に取り入れていたのだという。ひとつは歴史的に見て現在の漫才のスタイルを確立したのは、エンタツ・アチャコであったからである。もう一つの理由は、当時、若手漫才師としてダウンタウンが評判になっており、関西の若手漫才師はみんなダウンタウンの真似をした亜流のようなものばかりだったため、ぜんじろうは、そうした状況のなかであえて逆をいくことを選んだからであった。 このぜんじろうの戦略は、功をそうした。吉本興業のトップだった会長の林正之助が、「エンタツ・アチャコの再来だ」と絶賛し、自分の部屋にまでぜんじろうを呼んだりしていたというのだ。ちなみに吉本興業は、1931 年の満州事変のあとエンタツ・アチャコを「満州国」に派遣し、日本兵の慰問を行っていた。また日中戦争直後の 1938 年に吉本興業と朝日新聞が、共同で「わらわし隊」というものを結成し、より大規模で組織的な中国の日本兵への慰問を行うようになっていた。この「わらわし隊」には、林正之助会長もかかわっていたようである。だからエンタツ・アチャコへの思い入れが深かったのかもしれないが、ぜんじろうは林会長の推しもあって漫才コンクールで優勝する。そのときのライバルは、ダウンタウンの弟分で大崎洋がマネージャーをしていたコンビだったという。 また、大阪のテレビで人気が出たぜんじろうは、東京に進出し、『たけしの元気が出るテレビ』に出演する。日曜の夜 8 時から放映されていた番組だが、その裏番組は、『ダウンタウンのごっつええかんじ』という番組であった。おなじ吉本興業のお笑い芸人が、同じ時間帯の番組に出演しているということで当時は話題になっていた。 こういう点からいってぜんじろうは、ダウンタウンとは、因縁浅からぬお笑い芸人といってよいだろう。それから 20 年以上経つが、大崎洋は、吉本興業の社長となり、ダウンタウンは、お笑いの世界で「天下をとった」とされている。今もダウンタウンを日本のテレビで見ない日はない。一方ぜんじろうは、日本を離れアメリカで武者修行した後、海外でライブを行ったり、ネットでお笑い動画を配信することに力を入れたりしている。現在テレビにはほとんど出演は、ない。単純に考えれば、ダウンタウンが漢民族で勝者、ぜんじろうがウイグル族で敗者、ということになるのだろう。しかし、そう簡単にはいいきれないものがあると私は考えている。
4.ダウンタウン松本人志と安倍政権
私は、ダウンタウンが、テレビに登場した初期から見てきた人間である。フリートークやシュールな漫才のネタは、嫌いではなかった。ところがここにきて私は、松本人志のワイドショーの発言などに首をかしげることが多くなってきた。 たとえば、松本人志は、安保法制に関して反対運動が起こると「対案を出さないのは無責任だ」といったり、共謀罪に関して「多少、冤罪があってもやむを得ない」とも発言したりするようになっている。漫画家の小林よしのりが、「松本人志は権力のポチ」と書くような状況が生じてしまっているのだ。これは一体どうしたことなのか。私は、松本人志が若いころ大阪のローカルの番組で「この考え方は戦争につながる考え方でやばい」という意味のことを言っていたことを記憶している。いまの松本人志にはそうした危機意識はみじんもない。金や名声を手にした人間が、現にある権力を肯定するという姿以外のものを見出すことができなくなっている。私は、いちはやく佐高信が、松本人志の母が、創価学会員であることに注目して批判していたことを先駆的な批判として思い起こした。 2017 年は、ネットに蔓延するデマが公共の電波を使ってテレビ放送された元年として記憶されることになるだろう。沖縄ヘイトの番組を年頭に放送した『ニュース女子』がそうだが、その前年、沖縄の米軍基地に反対して座り込んでいた作家、目取間俊に「土人、支那人」といったのは、大阪府警の警官であった。 この明らかな差別発言を行った大阪府警の警官を「ご苦労様」とねぎらったのが、大阪府知事の松井一郎である。森友学園の問題にも深くかかわるこの大阪府知事とダウンタウンは親しいという。大阪万博にダウンタウンがアンバサダーになっているのも、この関係であるらしい。松本人志は、橋下徹や安倍晋三を称賛する発言もしていた。「なるほどな」と思った。
5.日本の笑いは幼稚で皮肉がない
ライブが終わったあと、食事をしながらぜんじろうと日本の笑いについて話した。ぜんじろうは、日本の笑いは、政治の問題などを扱わずとても幼稚だと言った。 これは、海外で武者修行やライブをやってきた経験に裏付けられている。 そしてぜんじろうによれば笑いは、フロイト的な笑いとユング的な笑いに分けられるとし、以下のように言った。 「ダウンタウン以後の笑いは、幼稚化なんですが、僕流に言うと、心理学でいうフロイト(意識的)ではなく、ユング(無意識的)なんですよね。あのフロイトも弟子のユングを幼稚と言った。なんせ、ユングは、オカルト、宗教、非論理が大好きで、無意識を大肯定していました。一方、フロイトは、無意識を悪と捉え、意識をしっかり持ち、オカルト、宗教は、幼稚だとみなした。唯物論です。」 そして日本の笑いには、皮肉や風刺の笑いが欠けているとも言った。 いま日本のお笑い芸人は、バラエティやワイドショーでコメンテーターをやることが多い。その場合、たいていの場合は、世間の空気を読んで優等生的なコメントをする。それは、予定調和的であり、そこに皮肉なり風刺の笑いはない。権力への毒はないのである。日本のテレビで、そうした笑いの場所が、存在できなくなって久しい。こうしたなか「森友学園や加計学園など政治の問題を笑いにできない日本の笑いは、終わっている」とツイッターで発言し、松本人志の番組で謝罪させられたのが、脳科学者の茂木健一郎である。これを「テレビによる公開処刑」だとして松本人志批判をしたのが、オリエンタルラジの中田敦彦で吉本興業の上層部から「松本に謝れ」といわれたが、拒否しているのだという。もっとも、ぜんじろうによれば、オリエンタルラジオの中田にツイッターでよびかけても返事はないといっていたから、どこまで本気なのかはわからない。ともかく、テレビには出演できないといってもぜんじろうは、かなり志の高い思想あるお笑い芸人である。こうした人を埋もれさせてはならないだろう。 ぜんじろうの「吉本かたき討ち」の最後には、ぜんじろうが、吉本興業の社長である大崎洋やそのまわりの社員たちから嘲笑される場面がある。 絶望的な気持ちになったぜんじろうが、新宿の街を歩いていた時、出くわしたのは、明石家さんまだった。大崎洋やそのまわりの社員たちから嘲笑されたことを訴えるぜんじろうに明石家さんまは、「しゃれや、しゃれ」といって、さりげなくぜんじろうを励ますのだ。ぜんじろうは、どんな悲しいことも笑いに変えてしまう明石家さんまに感銘を受けたという。明石家さんまは、テレビでは決して言わないが、ラジオなどで「戦争に税金使うために税金を納めているんじゃない」とか「2020 年の東京オリンピック開催は、福島の人たちのことを考えると喜べない」と発言している。 これは非常にまっとうな感覚である。むしろ希望はこちらにある。 そして現在、ぜんじろうは、上岡龍太郎の唯一の弟子である。 そのことにふれるとぜんじろうは、上岡龍太郎に書いてもらったという紙を取り出 し、「長いものにはまかれるな」と読み上げてくれた。上岡龍太郎とぜんじろうの師弟は、フロイトとユングのような師弟ではないのである。Youtube などにはぜんじろうの動画があるのでぜひ見ていただき、TVの笑いと見くらべていただきたいと思う(※)。 ※例えば、「The Daily Zenjiro Show」
https://www.youtube.com/@thezenjiro 日本ではぜんじろうのやっているスタンダップコメディは、なかなか浸透せず、広がらないが―そういうところは日本の市民科学と似ているようにもおもえる―たとえば、アメリカでは民族、宗教、差別、ジェンダーといったものをテーマにしたスタンダップコメディが、非常に人気を集めている。 フォーブス誌発表、2016年から2017年にかけて「世界で最も稼いだコメディアン」トップ10は以下の通りである。 1位:ジェリー・サインフェルド(6900万ドル(約76億6600万円)
2位:クリス・ロック(5700万ドル/約63億2900万円)
3位:ルイス・C・K(5200万ドル/約57億7400万円)
4位:デイヴ・シャペル(4700万ドル/約52億1900万円)
5位:エイミー・シューマー(3750万ドル/約41億6400万円)
6位:ケヴィン・ハート(3250万ドル/約36億900万円)
7位:ジム・ガフィガン(3050万ドル/約33億8700万円)
8位:テリー・ファトル(1850万ドル/約20億5400万円)
9位:ジェフ・ダナム(1500万ドル/約16億6500万円)
10位:セバスチャン・マニスカルコ(1500万ドル/約16億6500万円) このなかでクリス・ロックが、アメリカの著名なスタンダップコメディアンであり、そのトップは1年で約63億2900万円も稼ぎだしているのだ。 テレビから排除されて細々と活動せざるを得ない日本のスタンダップコメディアンからすると考えられないような額である。 日本では、民族、宗教、差別、ジェンダーといったものを笑いのテーマにするようなお笑い芸人は、テレビからあらかじめ締め出されている―たとえば松元ヒロやぜんじろう―ため「知る人ぞ知る」といった存在にならざるをえない。 この違いは大きい。ぜんじろうは、この違いを「世間」の笑いと「社会」の笑いという風に分類して説明していた。日本には「世間」はあっても「社会」がなく「世間」の笑いを「社会」の笑いに開いていこうとする方向性が非常に希薄なのである。
【続きは上記PDFでお読みください】 市民科学研究室の活動は皆様からのご支援で成り立っています。『市民研通信』の記事論文の執筆や発行も同様です。もしこの記事や論文を興味深いと感じていただけるのであれば、ぜひ以下のサイトからワンコイン(100円)でのカンパをお願いします。小さな力が集まって世の中を変えていく確かな力となる―そんな営みの一歩だと思っていただければありがたいです。