【連載】21世紀にふさわしい経済学を求めて(20)

投稿者: | 2023年5月9日

連載

21世紀にふさわしい経済学を求めて

第20回

桑垣 豊(NPO法人市民科学研究室・特任研究員)

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「21世紀にふさわしい経済学を求めて」のこれまでの連載分は以下からお読みいただけます。

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回

第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回

第13回 第14回 第15回 第16回 第17回

第18回    第19回

第1章 経済学はどのような学問であるべきか (第1回)
第2章 需給ギャップの経済学 保存則と因果律 (第2回と第3回)
第3章 需要不足の原因とその対策 (第4回と第5回)
第4章 供給不足の原因と対策 (第6回と第7回)番外編 経済問答その1
第5章 金融と外国為替市場 (第8回と第9回)
第6章 物価変動と需給ギャップ(第10回)
第7章 市場メカニズム 基礎編(第11回と第12回)
第8章 市場メカニズム 応用編(第13回と第14回) 番外編 経済問答その2
第9章 労働と賃金(第15回)
第10章 経済政策と制御理論(第16回)
第11章 経済活動の起原(第17回と第19回)
番外編 経済問答その3(第18回)
第12章 需要不足の日本経済史(第20回)

 

第12章 需要不足の日本経済史

第11章につづいて、経済の歴史をえがきます。21世紀にふさわしい経済学を求めるこの連載では、まず近現代の経済現象をあつかいましたが、近代以前の経済にも当てはまるわくぐみづくりにも挑みます。需要不足というマクロ経済固有の現象は、経済学の有効性が試される場です。経済の歴史にその場を移して、需要不足の日本経済史をテーマにします。

本格的に国単位のマクロ経済が需要不足に陥るようになったのは、20世紀になってからです。人類の歴史とともに続いた生産力の制約(供給力不足)は大きな課題ですが、これは常識的な発想でもわかることです。いろいろな産業や制度の進歩の積み重ねが、生産力を高めていきます。

しかし、供給力不足の時代にあっても、分業、交換、余剰生産、蓄積、貨幣の発達につれて、一時的ながら需要不足が生じるようになります。

日本の歴史をたどれば、旧石器時代には、長野県で石器製作の専門集団があらわれ、分業、交換のはじまりを示唆しています。石器の作りすぎはありえたのでしょうか。最近、縄文土器にコクゾウムシの痕跡がみつかり、食糧を貯蔵していた可能性が高まっています。貯めた食糧を腐らせてしまうことはなかったでしょうか。古墳時代から、制度としての税の徴収がはじまったようですが、納税のための備蓄は膨大です。また、律令制の元で生産力が大幅に増え、制度も整います。やがて、律令制が限界を向かえて、そこからの転換をはかった菅原道真と藤原時平が税制改革を実行します。鎌倉時代から室町時代には、金融業が発達します。庶民が生活費も借りるようになり経済格差が拡大し、経済運営がどうようもなくなって徳政令の発令にいたります。

江戸時代中期、人口増加が止まると、米の生産が頭打ちになるかわりに、商品作物や手工業が成長をはじめ、豊作貧乏という現象があらわれます。静止人口となる元禄時代から、米の過剰生産は米価安を招き、禄を米の現物支給に頼っていた武士階級は、町民・農民から借金をするようになります。余剰米は、酒造りや菓子類の原料とすることで、需要不足・過剰生産を免れたでしょうか。武士や幕府・藩の借金常態化は、幕府の金融政策がはじまる契機ともなります。

生産力過剰常態での貨幣改鋳=貨幣供給増大=幕府の貨幣発行益は、金融緩和政策の先駆けとも言えます。需要不足を認めない新古典派経済学に通じる発想の新井白石は、貨幣改鋳を主導した荻原勘定奉行を収賄の濡れ衣で失脚させます。貨幣の金含有率を元に戻した結果、緊縮財政となり景気は失速します。徳川吉宗政権の末期、大岡越前の進言により貨幣改鋳を復活させるまで景気は回復しませんでした。江戸時代は、町人による新田開発(町人入用)という巨額の先行投資がはじまる時代でもあります。

イギリスの経済学者ヒックス晩年の著作『経済史の理論』に見習って、日本史に需要不足・過剰生産の起源をさぐります。ヒックスはその晩年を、貨幣と資本の存在と不確実性の関連を歴史の中に探ることで、新たな経済学の構築をめざしました。キリスト教圏ではない日本には、利子へのタブーが少ないなど、西洋にはみられない経済の歴史があります。平安時代までは第11章で論じましたが、需要不足の観点から整理し直します。鎌倉時代以後は、需要不足と金融業の発達、格差社会、武家政権などの関係を論じます。

 

※今回も登場する写真はいずれも筆者の撮ったものです。

12-1 余剰生産・流通・蓄積・貨幣・金融・投資・需要不足

まず、関連する用語を解説します。

【余剰生産】

需要不足という表現は、産業革命以後の工業化の時代に特有の現象を思わせる表現です。それを広い意味で考えて、「余剰生産」の現代的あらわれが「需要不足」であるとします。余剰生産は、当面の衣食住以上の生産を指すとすると、自分や家族、集落以外の人の分も生産するという同時時代的な「流通」と、短い期間も含めた将来のための生産「蓄積」があります。流通に備えた蓄積もあり、両立することもあります。

【流通】

流通を前提とすると、流通先で必要のなくなる可能性がある以上、過剰生産が生じえます。規模が大きくなれば、過剰生産も大きくなります。輸送手段・交通網の発達と連動して流通が拡大し、生産量・生産物を選ぶ必要も生じます。情報伝達の方法も発展します。古代、律令制の規定に狼煙(のろし)があり、すでに人間の移動と情報伝達を切り離す試みが始まっています。

【備蓄・蓄積】

製品の備蓄・蓄積だけでなく、原料・中間原料の備蓄もあります。備蓄品の耐久性もあり、保存技術の進歩が蓄積量を増やします。やがて、貴金属や貨幣、為替などの形の蓄積も登場します。

【貨幣】

ものだけが流通する物々交換の段階から、ものの中から流動性の高く保存もきく米・布・塩などが特別の地位を築くようになります。これが実物貨幣です。日本では平安時代後期に、貨幣を発行するのをやめて、実物貨幣が経済活動を支えます。やがて、金属貨幣が復活し、紙幣(藩札)・預金通貨などに発展します。現代の需要不足は、貨幣抜きには考えられません。

【金融】

貨幣がなくても、貸し借りはありました。貨幣とともに、本格的に金融活動が始まります。ただし、実物の貸し借りの情報だけがまず成立して、後にそれが貨幣につながります。シュメール文明では、経済活動の記録として文字(情報記録手段)が誕生しました。

【投資】

その場限りの消費でなく、後に生産活動につながるものは投資です。その意味で、石器や弓矢も投資と言えます。ただし、寺社建築や現代の公園設置や美術館建設は、長期的には生産に寄与するかも知れませんが、生産とはつながらなくても先々の生活のためになるという意味で投資です。会計学的には、決算年度を超えて、効用をもたらすもの(資産価値の残存)は投資です。将来、役立つかどうかわからないという意味で、投資は過剰生産につながる大きな要素であり、現代経済の需要不足の主役です。

【需要不足】

長く生産力不足のみが、貧しさや不景気の原因であると考えてきました。しかし、巨額の投資を行うようになってから、単なる過剰生産という以上の意味で、需要不足が問題になります。過剰貯蓄とという側面です。これは、経済学では、「家計」の貯蓄・格差だけが大きな原因としてきましたが、21世紀になるころから、法人貯蓄が無視できなくなりました。無理に財政再建を図ろうとする巨額の債務返済も、単年度で見ると過剰貯蓄です。21世紀中盤には、政府による需要不足も大きな問題になりそうです。

 

12-2  旧石器時代・縄文時代 交換・流通のはじまり

日本の旧石器時代は、遺跡捏造事件を乗り越えて、島根県砂原遺跡(旧石器時代前期)などの発見によって、12万年前ごろまでに始まっていたことが明らかになりつつあります。ただし、その生活実態は未解明で、当時の生産技術では余剰生産があったとは言えそうにありません。しかし、4万年前以後の旧石器時代後期になると、それまでの常識を塗り替える流通の実態が明らかになりつつあります。

【参考文献】
『旧石器が語る「砂原遺跡」 遥かなる人類の足跡をもとめて 山陰文化ライブラリー6』
松藤和人、成瀬敏郎 ハーベスト出版 2014年

■遠洋航海

日本列島は、氷河期になって海が退いて大陸と陸続き(あるいは狭い海峡)にならないと、人類が渡ってくることができません。島根県砂原遺跡の旧石器時代前期の人類は、18万年前ころを中心とする氷河期に渡ってきたと思えます。4万年前以後の旧石器時代後期の人類は、2万7000年前ころを中心とする氷河期より以前から居住しているので、遠洋航海をしていたことは間違いありません。

考古学者が台湾から沖縄への航海実験を行っています。1回目は、潮の流れが強くて人力では到達できませんでした。ただし、これは最短距離を渡ったに違いないという思い込みがあるための失敗でした。潮流をおりこんで、台湾南部から与那国島を目指せば十分可能であるはずだと思っていたところ、2回目はそのとおりにして成功しました。

流通という観点から遠洋航海が現実化していた例は、伊豆諸島神津島(こうづしま)近くの恩馳島(おんばせじま)の黒曜石を継続的に採取して、本州に持ち帰っていたことです。伊豆諸島までは海が深く、氷河期でも50kmの航海が必要です。中部地方や関東地方の内陸部から、神津島の黒曜石が見つかっています。黒曜石の成分分析で産地がわかりました。オーストラリアでも5万年前の遠洋航海があったことがわかってきたので、世界史の常識はくつがえりつつあります。この遠洋航海は、縄文時代にも続きます。

遠洋航海で採取に行く以上、まとまった量を運んだことになり、原石・成型品のいずれにしてもどこかに蓄積していたのは確かです。船をつくり、食料を積んで、労力を投入しながら、採取した黒曜石がさばき切れない事態があったとすれば、過剰生産(採取)です。霧ヶ峰、高原山、箱根など、競合する産地もあったので、時期をはずせば不要となったかも知れません。長期保存が可能なので、必ずしも余るとは限りませんが、検討する価値はあります。

【参考文献】
『旧石器時代ガイドブック ビジュアル版』堤隆 新泉社 2009年

 

■石器制作集団と交換

日本では、旧石器時代後期後半、石器の量産集団が長野県小県郡長和町の霧ヶ峰黒曜石産地近くの「鷹山遺跡」に現れました。写真の星糞峠はその産地です。他の家族や集団のための分の石器もつくっていた専業集団があったようです。石器づくりに多くの時間をさくと、食料獲得の労働時間が確保できなくなります。そうすると、足りない分を外部から調達していた可能性があります。交換の始まりです。直接の証拠が遺跡から出てきた訳ではないので仮説ですが、検証に値するのではないでしょうか。


写真12-1  黒曜石の産地 長野県長和町星糞峠

ここでも過剰生産の可能性があります。旧石器時代は、地表面にある黒曜石を拾うだけだったので、労働投入は少なく、需要に応じた生産であった可能性も高いです。また、移住生活の旧石器時代は、人間の移動と物の流通は重なります。日本の旧石器時代は例えば、夏は中部高原地帯、冬は関東平野という1年サイクルで、100kmほど移住するのも普通でした。輸送集団や受け渡し式の交換を想定する必ずしも必要はありません。

 

■ヒスイとコハク

縄文時代になると定住するので、輸送集団や受け渡し交換の可能性は高くなります。特に、新潟県糸魚川市のヒスイと、千葉県銚子市のコハクは、広域流通していました。気候が温暖な時期は流通量が多く、寒冷化すると減りました。1000年単位の気候変動と景気変動が同期していました。生産余力がなくなると流通が減るとすると、余剰生産力が存在したことになります。必需品だけでは余ってしまう生産力を、このような装飾品製造に当てるということは、需要不足対策と言えるのかも知れません。

写真12-2 糸魚川市長者ケ原遺跡(ヒスイ産地工房)

ヒスイとコハクの流通地域は中部地方で重なり合っていましたが、遺跡から見つかるのは拠点集落だけです。集落間に格差があったことを示唆していて、集落の中での身分の違いもうかがえます。縄文時代に平等社会を見いだそうする人には期待外れかも知れませんが、格差や身分は分業を示しているのかもしれません。縄文時代は予想以上に、分業社会だったかも知れません。分業は生産品の種類による生産量の変動が、需要不足につながります。

 

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