連載
21世紀にふさわしい経済学を求めて
第 32 回
桑垣豊 (NPO 法人市民学研究室・特任研究員)
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第1章 経済学はどのような学問であるべきか (第1回)
第2章 需給ギャップの経済学 保存則と因果律 (第2回と第3回)
第3章 需要不足の原因とその対策 (第4回と第5回)
第4章 供給不足の原因と対策 (第6回) 番外編 経済問答その1(第6回と第7回)
第5章 金融と外国為替市場 (第8回と第9回)
第6章 物価変動と需給ギャップ(第10回)
第7章 市場メカニズム 基礎編(第11回と第12回)
第8章 市場メカニズム 応用編(第13回) 番外編 経済問答その2(第13回と第14回)
第9章 労働と賃金(第15回)
第10章 経済政策と制御理論(第16回)
第11章 経済活動の起原(第17回と第19回) 番外編 経済問答その3(第18回)
第12章 需要不足の日本経済史(第20回と第21回) 番外編 経済問題その4(第22回)
第13章 産業関連分析(第23回)
第14章 武器取引とマクロ経済(第24回) 番外編 経済問答その5(第25回)
第15章 植物進化に学ぶ(第26回)
番外編 解説&経済問答その6「株式市場」(第27回)
番外編 解説&経済問答その7「資産選択理論への疑問」(第28回)
番外編 解説&経済問答その8「資産運用立国?」 (第29回)
第16章 年金は何のためにあるのか(第30回)
第17章 統計学と経済学(第31回)
番外編 経済問答 その9「江戸時代の経済システムと現代」
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江戸時代の経済政策が、現代に生かせるのではないか。米の値段は、現代の問題でもありますが、江戸時代の経済にとっては死活問題でした。食糧の基本であるだけではなく、武士の給料が現物の米であったので、支配階級武士の生活がかかっていました。全国の経済政策を担当した勘定所と町奉行所は、米政策を中心とした経済政策に悪戦苦闘します。私には、今よりも本気で現実を捕らえようとしていたように見えます。ちなみに、町奉行所は、江戸の治安、裁判、市政だけでなく、全国の経済政策を勘定所とともに担ってしました。
江戸時代の経済については、連載第20回「第12章 需要不足の日本経済史」で説明しました。江戸時代の部分「12-6 江戸時代 平和の帰結と生産投資のはじまり」の7頁分を問答形式でくわしく説明することで、その実態にせまります。
ときは2050年。2025年現在まだ存在しない基礎経済学研究所の菅原氏に、25年後の工藤さんが話を聞きました。
とき・ところ
2050年2月29日 国立基礎経済学研究所 2階 経済史展示室
解説
国立基礎経済学研究所 歴史部門主任 菅原(65)
聞き手
経済雑誌「エコノミカ」副編集長 工藤(57)
■はじめに
工藤
経済のお話しを聞く前に、この研究所のことを説明していただけますか。
菅原
この研究所は、経済学が現実をどう描くかを中心にすえるように大きく転換したことをふまえて、国が設立しました。経済政策を立案するための基礎的な研究や、情報収集・整理をするだけでなく、経済学を学ぶ場を提供することも大きな柱になっています。
工藤
建物に設立の理念が大きく反映していますね。
菅原
建物は、ご覧のように被爆前の原爆ドーム、つまり広島県産業奨励館を復元しました。戦争の原因には経済的な背景が大きく作用していることを、理解してもらいたいからです。日米開戦直前の時点で、日本が大陸に進出するためにかかった費用・負担と、資源など経済的に得たものを比べると、費用のほうがずっと多いという分析があります。

図M9-1 国立基礎経済学研究所 本館(モデル 広島県産業奨励館/原爆ドーム)
工藤
石橋湛山もそういうことを言っています。
菅原
日本の外務省がまとめたものです。『徳川家から見た戦争』という本が紹介しています。著者は徳川家の子孫で、明治維新以後の富国強兵政策を問う内容です。
『徳川家から見た戦争』徳川宗英 岩波ジュニア新書840 2016年
経済学者では、産業連関分析を確立したレオンチェフが、産業連関分析は武器生産の実態をあきらかにできる方法で、軍拡競争をくい止める方法になるはずだとしています。この連載でも、第24回で「第14章 武器取引とマクロ経済」として分析しています。ただ、産業連関表を使うところまでは行っていませんが。
工藤
そういえば、ケインズは1919年に『平和の経済的帰結』で、出版界に登場しました。
菅原
第1次世界大戦が終わって平和な世界になって、どのように経済を立て直すかを論じた本です。大戦に勝利した連合国側が、ドイツに天文学的に過大な賠償金を要求したことを批判しています。
工藤
そこで、今回のインタビューのテーマは、日本の戦国時代が終わって、「平和の経済的帰結」であった江戸時代の経済の特色をお話ししていただこうと思います。
菅原
「12-6 江戸時代 平和の帰結と生産投資のはじまり」の本文の内容に従って話をします。連載本文では取り上げなかったテーマは、最後に取り上げます。
■米価対策
工藤
21世紀になっても米の値上げが問題になりました。江戸時代も、米価高騰が庶民の暮らしを圧迫したということですか。
菅原
むしろ、米価安が問題になりました。米という現物で所得を得る武士は、米を売ることで生活や武士の体面を保つための費用を手に入れます。米以外のものは物価が上がりましたから、ダブルパンチです。このことを「米価安の諸色高(べいかやすのしょしきだか)」と言います。諸色とは、いろいろな米以外の商品のことです。
工藤
どうして、米だけが安くなったのでしょうか。
菅原
幕府も各大名家も、税収が米でした。米を増産すれば、その一定割合を収めさせる税収は増えます。それで、米の増産を優先した結果、需要以上に米をつくることになってしまいました。
工藤
それでも人口が増えれば、米が余らないのではないですか。
菅原
17世紀の終わりごろ、元禄時代には人口が増えなくなります。この展示室の「日本経済年表・人口グラフ」で確かめてください。
工藤
人口増加が止まった理由は何でしょうか。
菅原
マルサスの罠ということばがあって「経済が成長して食糧を増産できても、その分人口が増えて、一人当たりで考えた生活はよくならない」ことを意味します。それが産業革命まで続いたと言うのです。
人口が増えないということは、経済が成長していない、生産高が増えていないからだということになります。江戸時代も中期は気候が寒冷化して、飢饉もたびたびおきるようになります。
工藤
しかし、元禄時代と言えば景気がよかったことで有名ですね。話が合いません。
菅原
そこで、予定以上に生まれた子供を間引くようになった、という説が登場します。なかなか裏付けを取ることはむずかしいので、結論は出ていません。でも、女性の寿命が伸びる中で、人口が静止したので、貧困や食糧が原因ではなさそうです。
むしろ、エマニュエル・トッドの言うように、女性の教育が進んだ結果かも知れません。子供を生まれにくくするにはどうしたらいいかということが、ノウハウ本に載っていたようです。体温計もない時代なので、そんなにうまく行かなかったでしょうが。もちろん、武士や有力町人や農民などは跡継ぎがほしいので、どうしたら子供ができやすくなるかのノウハウもさかんに出回っていたようです。
『世界の多様性 家族構造と近代性 普及版』トッド,エマニュエル著、荻野文隆訳 藤原書店 2025年 3300円
工藤
子供を間引くことに、宗教的な抵抗感はなかったのでしょうか。
菅原
そこがポイントです。一種の宗教革命があったかも知れません。水子供養も、この時期広がった可能性があります。調べて見る必要があります。近代的意識の芽生えかも知れません。
仏教もキリスト教も、庶民はこの世ではなかなか救われないので、来世に救いを求める極楽往生を説きました。それが、元禄時代ごろから庶民にも少しは現世利益が得られるようになってきました。ヨーロッパと違って、戦争がなかったことも大きいですが。
工藤
檀家制度で仏教が堕落したとよく言いますが、現世利益が得られるとなると、宗教の力は弱まるかも知れませんね。そうすると、檀家制度のような制度がないと寺は維持できなくなるかも知れません。
菅原
理屈を言えば、心のより所でなくなりつつあれば寺は維持できなくてもいいということになります。しかし、寺社は、村の自治の結束をはかる面もあります。弱まっているとは言え、心の支えは必要です。寺は、幕末にかけて「手習い」の場として、子供の教育には欠かせないものになります。
工藤
今は寺子屋と言うことが多いですが、当時は手習いですね。先生が全員に向かって講義するような形ではなくて、個別指導だったようですね。
菅原
同じ部屋に居て、自習してできた結果を先生に見てもらう。わからないことを質問する。そういう形でした。近代以降の教育では、このような方法では能率が悪いので、講義式になったのは仕方がありません。でも、不登校の子供に教えるフリースクールなどでは、手習い式でやることもありますね。
工藤
今までにない新しい教育方法だと思ったものが、昔あった。
ところで、「米価安の諸色高」対策はどうなったのでしょう。
菅原
これは本文にもあるように、「幕府は大阪の米市場で米切手を仲買人に高値で買わせるなどして、相場をあげようとします」。しかし、需給で決まるよりも高く買わせると損をするので、無理があります。松平定信の時代のことです。
次に米の備蓄量を調整して、価格を安定させようとします。余っているときに買い、足りないときに放出する。これは、安くなりすぎるのを防ぐことはできますが、高値安定はできません。

図M9-2 写真 大坂米市場(淀屋)跡
『江戸の小判ゲーム』山室恭子 講談社現代新書2192 2013年
工藤
2025年の米不足も、数年前から備蓄米の弾力的運用ができないようにしたからだそうですね。
菅原
現代にはいろいろな事情もあるでしょうが、江戸幕府が悪戦苦闘をしていたことから学んでいないのは確かです。
さて、結局、米価の高値安定はあきらめて、目的を飢饉対策に変更します。米の出来具合で売り買いするのは同じです。備蓄米は、江戸時代のことばでは「お救い米」です。米の需給にあわせた方法でしたが、この市場原理が飢饉を生んだこともあります。
工藤
仙台藩の例ですか。
菅原
ご存じのように、米相場は大坂の市場で決まりました。仙台藩は、米が高くなったので、大量に大坂市場に送ったのですが、その後不作になり、藩内がたいへんな米不足になります。飢饉が発生して、たくさんの人が亡くなります。そもそも、西日本で米不足になったせいで、米価が高騰したのですから、時間差で仙台藩でも米不足になるのを警戒すべきでした。
工藤
時代劇を見ていたら、お救い米の蔵を襲う不届きな盗賊が出てきました。幕閣と御用商人が、米価吊り上げで一儲けしようと、侍を雇ってやらせたという筋書きでした。お救い米制度をつくった松平定信の失脚もねらった一石二鳥の企みです。
菅原
幕閣がみずからそんなことをすれば、幕府の全体の権威を傷つけかねないですから、やるとは思えませんがね。建前では「ご正道(せいどう)批判」はできないことになっていましたが、江戸中期以後は幕府も世論の動向に気を使うようになります。
工藤
力関係に変化があったのでしょうか。
菅原
これは仮説ですが、戦国の世が終わり、戦(いくさ)がなくなれば武士の地位は下がります。実際に農産物を作る農民、漁民、樵(きこり)、・・・、これらをまとめて「百姓」と言いますが、地位が上がります。生産高を増やさないと幕府も大名家も、予算や武士の給料(知行米、俸禄米)が確保できませんから。
ヨーロッパでは、30年戦争(1618~1648)後、ウェストファリア条約ができたものの、内戦も含めて戦乱が絶えませんでした。領主の権力が強く、領民を生産活動以外の使役に使いました。日本では、武士が許可なく城下以外の地域に行くことを禁止します。
工藤
年貢さえちゃんと収めれば、余計な世話は焼かないのですね。幕府だけでなく、大名家もですか。
菅原
そうです。鹿児島藩のように武士が農村に常駐する麓集落を設ける外城(とじょう)制度があるところは、例外ですが。
おもしろいのはマルクスがこのことを知っていて、日本の封建性のほうが本来の姿で、直属の部下でない領民に領主が命令するのはルールをはずれている、と書いているそうです。
- 『村 百姓たちの近世 シリーズ日本近世史2』水本邦彦 岩波新書新赤1523 2015年
【続きは上記PDFファイルでお読みください】
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