【連載】21世紀にふさわしい経済学を求めて 第 29 回 桑垣豊(NPO 法人市民学研究室・特任研究員)

投稿者: | 2025年5月24日

 

連載

21世紀にふさわしい経済学を求めて

第 29 回

 

桑垣豊 (NPO 法人市民学研究室・特任研究員)

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第28回

第1章    経済学はどのような学問であるべきか (第1回)

第2章    需給ギャップの経済学 保存則と因果律 (第2回と第3回)

第3章    需要不足の原因とその対策 (第4回と第5回)

第4章    供給不足の原因と対策 (第6回) 番外編 経済問答その1(第6回と第7回)

第5章    金融と外国為替市場 (第8回と第9回)

第6章    物価変動と需給ギャップ(第10回)

第7章    市場メカニズム 基礎編(第11回と第12回)

第8章    市場メカニズム 応用編(第13回) 番外編 経済問答その2(第13回と第14回)

第9章    労働と賃金(第15回)

第10章   経済政策と制御理論(第16回)

第11章  経済活動の起原(第17回と第19回) 番外編  経済問答その3(第18回)

第12章  需要不足の日本経済史(第20回と第21回) 番外編 経済問題その4(第22回)

第13章 産業関連分析(第23回)

第14章 武器取引とマクロ経済(第24回) 番外編 経済問答その5(第25回)

第15章 植物進化に学ぶ(第26回)

番外編 解説&経済問答その6「株式市場」(第27回)

番外編 解説&経済問答その7「資産選択理論への疑問」(第28回)

 

 

番外編 解説&経済問答「資産運用立国?」 その8

 

株式市場について議論してきましたが、いよいよ株式市場に社会的存在意義があるかどうかを議論します。図表M6-2で、企業が株式市場から資金を調達する割合が1960年代なかばで激減して、その後回復しなかったことを示しました。また、ガルブレイスが株式市場の廃止を唱えたことは、たびたび紹介しました。今回は、企業にとって株主とは何なのかを問います。ひきつづき、解説と工藤さんの説明のセットで進めます。

日本取引所(旧東証)

論者

工藤 経済雑誌契約調査員(32)

服部 業界新聞調査部係長(48)

松本 ネットジャーナリスト(34)

●株主は企業の内部か

株主は民間企業にとって、内部ということになっている。それで、利益のうち一定割合を配当として受け取ることになる。株主は企業を所有しているという解釈もよくある。所有していていも、具体的な経営は経営者がするので、直接従業員を指揮したりすることはできない。株主総会を通じて意見が言えたり議決したりする。その中で、経営陣の取締役を決めることもできる。ただし、これが普通の所有とは違うのはあきらかで、同じ所有ということばを使うべきかどうかも疑いがある。

一方、20世紀の企業論として、「所有と経営の分離」ということばがある。株主と経営者は利害関係が一致しない。株主は配当と株価上昇を望むが、経営者は内部留保を確保して経営の余裕や自由度を高めたい。もちろん、役員報酬は多い方がいい。新古典派経済学では、株主も長期的観点から配当の最大化を図るので、利害が一致するという。また、内部留保もやがて株主のものとなるので、区別しないでいいというが、実態から大きく離れていると言わざるを得ない。

配当政策ということばがあるが、どのように配当する方針がいいかを考える。配当政策は、企業価値の最大化が目標であるというが、結局株価対策であることが多い。配当政策ということば自体が、株主を別の利害主体と見なしている証拠である。

一方、決まった金利で融資する銀行は外部と見なすことが多いが、財務状況を把握して、経営指導もするので、むしろ、内部に近い。株主も外部監査役が企業の実態を調べるが、銀行に比べると限界が大きい。1995年にすでに『行きづまるアメリカ資本主義』という本が出ていて、日本より株主の権利が強いアメリカでも監査で実態をつかむのは、ほぼ不可能であると述べている。

 

『行きづまるアメリカ資本主義』脇山俊 NHKブックス756 1995年

 

【問答】

服部

30年前の本で、アメリカの企業監査の限界を指摘していたとは、驚きだな。

 

工藤

日本はこの後、企業の経営方式をアメリカ流に株主の発言権強化の方向に「改革」します。1990年代終わりの金融ビッグバンから2000年代の小泉改革にかけて、時価会計や持ち株会社解禁など様々な制度を変えました。

 

松本

それもこれも、外部から企業の実体を監査でくわしく調べることができる、というのが前提です。

 

工藤

「外部から」と言ってる時点で、株主は企業外部だという意識が働いていることがわかります。

服部

「所有と経営の分離は20世紀の特徴だ」と、高校の教科書で習った気がする。今は教えないのかな。

 

工藤

マルクス(1818-1883)も、出資者と経営者を資本家ということばで、ひとくくりにしています。

 

松本

マルクスは19世紀なので、所有と経営は分かれていなかったんじゃないか。

 

工藤

鉄道業、鉄鋼産業などは、多くの人や企業から出資を募るが一般化しつつありましたから、晩年は気が付いてもよかったはずです。法人とか企業・会社が独立の存在になりつつあったこと、そして、それが個人を圧迫するようになったことは、見逃せません。

 

服部

その点では、今の経済学も、個人(家計)ばかりをとりあげて論じている。

 

松本

新古典派経済学もケインズ経済学も、区別していない。

 

工藤

新古典派経済学が会社と株主は同じ利害関係にあるとして、ひとくくりにして考えます。生み出した付加価値(差益)は、労働者か資本のどちらかに分配するという前提です。だから、労働分配率、資本分配率だけを問題にします。しかも、資本所得はすべて出資者個人に分配するというのが建前です。

 

松本

新古典派でもそれでは現実を説明できないので、株主には利益の一部を配当金として払っていることは認めています。

 

工藤

それでも将来必ず出資者に支払うと仮定して、つじつまをあわせています。ちなみに、出資者には株主以外に、資金を貸して利子を受け取る債券もあります。

 

松本

だとすると、資金を貸出す銀行という巨大な法人も仮の姿か。無理があるなあ。

 

 

服部

その銀行の利益も個人の出資者にいずれ渡すという理屈だな。しかし、利益が法人の間をいったり来たりして、いつになったら個人に届くのやら。

 

工藤

法人をプレイヤーとして認めないと、20世紀以後の経済は説明ができません。

 

服部

そうすると、配当金を「利益の分配」として考えるか、「資本調達コスト」と考えるかが問題になる。

 

松本

株主を身内だと考えると、利益の山分けになります。

 

工藤

法人を主体として認めないと、すべて配当しないといけなくなります。当面、設備投資をする予定の資金以外を持ってはいけない。ついでに言うと、新古典派経済学の建前では所得は全部使い切るはずです。賃金も配当金も。これはあまりに非現実的なので、そうは思っていないでしょう。

 

松本

でも、だれも貯蓄をしないことを前提にするから、需要不足は生じないことになっています。貯蓄を認めるなら、需要不足も認めないといけない。

 

服部

配当政策ということばがあって、その目的は「企業価値の最大化」だそうだけど、営利企業が「価値」なんてことばを使うのには、違和感がある。

 

工藤

実は「企業価値=株価」なので、格好をつけてるだけじゃないかと思います。価値を価格の意味で使うこともあります。価格と違うところは、賃金の価格も含めるところだというのですが、あまり一般的ではありません。企業価値に賃金が入っているわけがないですし。

 

松本

最近、大企業の社長が「企業価値の最大化をめざして頑張ります」なんて言っているけど、「もっと株価が上がるようにします」と正直に言えばいいのに。

 

服部

そりゃあ、下品だと言われかねないから、いいことばを教えてくれてありがとう、てところじゃないか。

工藤

経営者として、会社の価値が株だけだと考えていることになりかねません。

そこで問題になるのが、株主は資金提供以外に、どこまで会社の経営に貢献しているかということです。企業監査に限界があるとすると、株主は会社のことを十分知るのはむずかしい。会社のことがよくわからないのに、経営に意見が言えるのか。

 

松本

当事者じゃないから、冷静な目で会社を見ることができる面もあるんじゃないか。

 

工藤

資金提供以外に貢献できることはありますが、身内として山分けするというほどではないと思います。松本さんの「当事者じゃないから」は、身内ではないという意味ですよ。

 

服部

企業統治論というのもあったな。企業価値と同じくらいの粉飾ぶりだけど。

 

工藤

知らない人が聞くと、企業の暴走をいかに食い止めるかを考えている、と思うかも知れません。環境への配慮も含むんじゃないか。でも、そんなことはなくて、株主が自分たちの思うように企業をいかに支配するかという話です。

 

松本

企業を社会的にコントロールする議論だと解釈してしまうと、ステークホルダー論と同じですね。労働者、消費者、地域社会、環境にも配慮するという。

 

工藤

営利法人と言えども企業・会社はどうあるべきかと、配当金の位置付けをどうするかは、関係があるということです。それでも、配当金は利益の分配なのか、コストなのか、とは別に、市場金利と配当率に大きな違いがあることが、金融市場を混乱させているのではないかという疑いがあります。

 

 

●不合理的市場仮説

そこで、株主を内部と仮定すると出てくる、株価に対する配当率を一定以上にするという配当政策を検討してみる。アメリカを中心として、この政策を実行して、日本の企業にもこれを要求している。その結果、問題がなければ、一定有効性があることになる。

例えば、配当率を市場金利よりも高く設定したとする。

 

a)リスクを割り引いても配当率(配当÷株価時価)を市場金利よりも高くする

b)株を買おうとする人・法人が増える

c)株価が上がる⇔差益ねらいの投資家も株を買う

d)株価に対する配当率が下がる(市場金利に近づく)

e)株主総会で次期も配当率を維持しようとする

f)さらに株価が上がり続ける

 

a)→b)は、市場金利に対して配当率のほうが有利なので、株を買おうという人が増える。低金利政策は、設備投資などをしやすくするために行なうが、株高も誘導してしまう。社債などの市場金利と配当率は競合している。借りる企業からは、資金調達先として社債や銀行融資に比べると、株式は高くつくことになる。景気が悪くて設備投資需要がないときには、借りた資金が株のほうに流れる。株式市場は流通市場なので、過去に発行した株の配当率が高くても、株を発行した企業は払わないわけにはいかない。高値の株を回収するには、多額の資金が必要でそちらも高くつく。

d)で、株のほうが有利なので株の買い手が増えて株価が上がる。すると、株価に対する配当率は相対的に下がる。市場金利と配当率に「市場原理」によって裁定が働いて、株価を上げるわけである。配当率が市場金利と同じになるまで株価が上がるなら、そこで株価は安定する。しかし、配当金を支払って、その後株主総会を開いて、また同じ配当率を設定すると、また株価は上がり始める。配当率が市場金利と同じになる前に、配当があるとずっと配当率が市場金利よりも有利な状態が続くことになる。

株価が上がっても企業にとって直接得をするわけではないのに、配当だけが増えていく。配当率が同じでも、分母である株価が上がると配当金額は増える。「合理的市場仮説」によると、株価は企業の業績を正確に反影するそうなので、配当金が増えても負担できることになる。しかし、株価は業績だけでなく、配当率が市場金利よりも高いだけで上がって行くメカニズムがあるので、実体とはかけはなれた株価になる。「合理的市場仮説」が成り立つためには、配当率を市場金利なみにする必要がある。

株主を内部と仮定して利益の分配を図ると、株式市場は不合理なふるまいをするので、これは「不合理的市場仮説」と言えるのではないか。

配当を高くするのはリスクがあるから、という考えがある。しかし、以前の一部上場市場以上に、リスクの低い企業を集めたプライム市場には、大きな「リスクプレミアム」をつける合理的理由はない。市場金利よりも高い配当は裁定を生むというのは、新古典派経済学が基本にすえる市場原理である。そして、株が値上がりしていることを考慮すると、長期保有株主への配当率はもっとずっと高くなる。

実体経済の成長率とインフレ率が下がっても配当率を維持することが、常時株価バブルを招いているとすると、安定成長期の高配当維持は、大口投資家を既得権益集団にしている。金融市場で活躍するのが時代の最先端だということになっているが、実は過去の利権にしがみついているのではないか。

しかし、別の疑問がある。株主は、差益(キャピタルゲイン)をねらっていて、配当金をあてにしていないのではないかということである。高配当が一定駆動力に成りつつ、差益を求める力が株価を押し上げているのも確かである。ミンスキーの不安定仮説の世界である。これも不合理的市場の構成要素である。

配当をあまり考えない理由として、年に数日の権利日に株を持っているかどうかだけで配当を受ける権利が決まるという制度的要因もある。情報技術が発達しているので、預金金利のように保有期間で案分することもできるはずである。これで、ミンスキーのいう不安定性は減るかも知れないが、配当と金利の裁定が解消できるわけではない。

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